ルロワとDRCの遺伝子を継承し、独自の感性でつかみとったビオディナミ栽培と自然な醸造法により優れた畑の力を生かす造り手

 【ドメーヌ・プリューレ・ロック】

  〜Domaine Prieure Roch〜


 ドメーヌ・プリューレ・ロックは、アンリ・フレデリック・ロックが1988年に創立したまだ歴史の浅いドメーヌです。当初ヴォーヌ・ロマネに設立されましたが、1989年にニュイ・サン・ジョルジュにドメーヌの本拠を移し、プレモーに樽貯蔵庫を持ちました。

 メゾン・ルロワの三代目で、ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ社(DRC)の共同経営者であったアンリ・ルロワには二人の娘がおり、姉がポーリーヌ・ロック・ルロワ、妹があの有名なラルー・ビーズ・ルロワ(マダム・ルロワ)です。アンリ・フレデリック・ロックは姉ポーリーヌの子供ですので、ドメーヌ・ルロワ当主マダム・ルロワの甥にあたります。

 1992年にマダム・ルロワがDRCを去った後、ポーリーヌの長男シャルル・ロックが後任となりますが、その2ヶ月後交通事故で死亡したことから、弟のフレデリック・ロックがルロワ家の代表として現在までDRCの共同経営者に就いています。

 フレデリック・ロックが自らのドメーヌを興すきっかけとなったのは、コンティ公の時代からの由緒あるヴォーヌ・ロマネの畑クロ・ゴワイヨットが1987年に売りにでたことでした。DRC社はマレ・モンジェ家からロマネ・サン・ヴィヴァンの畑を購入する資金を捻出するために、グラン・ゼシェゾーやエシェゾーそして、このクロ・ゴワイヨットを始めとする自社の所有区画を売りに出します。

 クロ・ゴワイヨットの1/4は1979年に祖父アンリ・ルロワ氏が買って、長女である母ポーリーヌの所有となっていましたが、残りの3/4が売りにでたのです。この時フレデリック・ロックは DRCが所有していた歴史的なクロ・ゴワイヨットの畑を見た際に、本人の談によれば、「雷に打たれたようなインスピレーションを感じ」、このクロ・ゴワイヨットの畑を買い取り、単独所有畑とし、これを手始めにヴォーヌ・ロマネのレ・クル、オート・メズィエール等の畑を次々に入手し、1988年に自分自身のドメーヌであるプリューレ・ロックを創設したのです。

 ドメーヌ設立後も1990年にクロ・ド・ヴージョ、1994年にシャンベルタン・クロ・ド・ベーズとヴォーヌ・ロマネ一級レ・スショ、そして1998年にはニュイ・サンジョルジュ一級クロ・デ・コルヴェを購入し、ドメーヌの規模とラインナップの拡充に努めました。現在ドメーヌが所有している主な畑は下の一覧表の通りです。

 葡萄栽培では、「ワインの品質の8割は葡萄で決まる。そして収穫までの葡萄の歴史を知る必要があるために、自分で畑の手入れをする」という考えのもと、最高の葡萄を作るため、肥料にはわずかな量の有機肥料を使用するのみで、除草剤、化学肥料などは一切使用しない、有機無農薬栽培を実践しています。

 醸造においても、「収穫した葡萄を果梗ごと木製の発酵槽に入れ、人力によりマストを沈めながら仕込み、自然酵母のみで発酵させるという700年前のシトー派の修道士たちの伝統的手法」を用いています。また、熟成に使用する樽材はトロンセ産で、DRC社が50年以上も前に伐採し買付けて、20〜30年間の長期乾燥させていたものを共同で使用しているとのことです。

 こうして造り出されるワインは、ビオディナミならではの野生酵母の香りが特徴で、純粋なピノ・ノワールの魅力を感じさせてくれるものとなります。

 かくして、比較的新しいドメーヌでありながら、「フレデリック・ロックのルロワとDRCの遺伝子を継ぐその華麗なる血統」「独自の感性でつかみとったビオディナミ栽培と自然な醸造法により優れた畑の力を生かすというワイン造りへのポリシー」、そして「造り出すワインの味わい」が評判を呼び、一気にプレミアが付くドメーヌとなりました。

 ワイン専門家も当然着目し、下の写真の通り、フレデリック・ロック氏は2009年3月発刊の美術出版社発行のワイン専門誌「ワイナート49号 ドメーヌ・ド・ラ・ロマネコンティ特集」では、DRCのオーナーとして表紙を飾ると共に、自ら運営するドメーヌ・プリューレ・ロックが4頁にわたって紹介されています。

 ドメーヌ・プリューレ・ロックのボトルを飾るエチケットも他にない独特のものです。父親のホテル建設の仕事でエジプトに住んでいたことのあるフレデリック・ロックは、植物の生命に関する古代エジプトのナチュラルな考え方に共感し、この独特のロゴを創りました。

 左側にある緑色の包丁を立てたような模様は「葡萄の樹」、右上の黄色い楕円は「神」、その下の黄色い楕円は「人」、そして下に描かれている形の異なる3つの赤い丸は「葡萄の実」を表しているといいます。これは、「自然(神)と人間の両方の力によってワインを造り出す」というドメーヌのポリシーの象徴とも言うべき「神」と「人」と「葡萄」を表すエジプト文字で、ロゼッタ・ストーンを解読し、エジプト象形文字を解明した古代エジプト学の父「ジャン・フランソワ・シャンポリオン」の本から採ったとのことです。

 ドメーヌ名のプリューレ(Prieure)とは、「小修道院」の意味で、フレデリック・ロックがその言葉の響きを好んだために付けたとある本に書いてありましたが、「Priere(祈り)」の意味の通り、偉大なワインを産み出す神(自然)への祈りの意味もあるのではないでしょうか。

 完璧であることが当然とみなされるDRCの経営者としての重責を負う一方で、未だに発展途上にある自らのドメーヌで究極のワインを造るために畑仕事等の地道な努力を重ねるフレデリック・ロック氏。個性的なスタイルの背後にある真摯な姿勢に名門ルロワ家ならではの矜持を見る思いがします。

【最新NEWS】

 最後に悲しいお知らせをしなければなりません。ブルゴーニュの現地報道によると、2018年11月17日夜から18日にかけてドメーヌ・プリューレ・ロックの当主フレデリック・ロック氏が病気のため、56歳の若さで亡くなられました。これにより、現在市場に流通している2015年ヴィンテージがフレデリック・ロック氏が手掛けた最後のヴィンテージとなってしまいました。

 フレデリック・ロック氏はプリューレ・ロックの当主であると同時にオベール・ド・ヴィレーヌ氏と並ぶDRCの二人の共同経営者の内の一人で、ルロワ家側の代表でした。自分のドメーヌであるプリューレ・ロックは、彼の右腕の醸造長ヤニック・シャンも健在であることから新当主もすんなり決まるでしょうが、フレデリック・ロック氏にもその叔母のラルー・ビーズ女史(マダム・ルロワ)にも子どもがいるため、DRCの共同経営者としてのルロワ家側の後継者が誰になるかは現時点では不明です。

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【ドメーヌ・プリューレ・ロックの中核ワイン

「ニュイ・サン・ジョルジュ一級クロ・デ・コルヴェ」解説】
 ニュイ・サン・ジョルジュの一級畑「クロ・デ・コルヴェ」はプレモー地区にある一級畑オー・コルヴェの中にある三つの副区画の内の一つで、プリューレ・ロックのモノポール(単独所有畑)ですが、この5.13haの単独所有畑から樹齢や葡萄の質に応じて現在は次の三種類のワインがリリースされており、そのキュベの違いを理解することが重要ですのでここで詳しく解説いたします。 (2009年ヴィンテージまではニュイ・アンと呼ばれるキュベがあり四種類でしたが、樹齢が上がったため、現在はニュイ・アンは造られず、上級キュベにブレンドされています。)

【1.三種類のキュベの違い】

1.ニュイ・サン・ジョルジュ一級クロ・デ・コルヴェ

2.ニュイ・サン・ジョルジュ一級V.V.

3.ニュイ・サン・ジョルジュ一級

 まず、三種類の筆頭に挙げられた「ニュイ・サン・ジョルジュ一級クロ・デ・コルヴェ」は、収穫の際に「一番最初に選りすぐられたミルランダージュ(結実不良)によって生じた小さな果粒の葡萄だけを使用したワイン」で、ドメーヌの当主フレデリック・ロック氏自慢の最上級キュベです。

 「ミルランダージュ(Millerandage=結実不良)」というとネガティブな印象を持ってしましますが、ブルゴーニュの神様と称えられた故アンリ・ジャイエ氏がこのミルランダージュの葡萄を愛したことは有名な話で、ミルランダージュの粒は果肉が発達せず、その代わりに果皮に蓄えられる香り成分(ポリフェノール)が多くなることから、ミルランダージュが発生した年は偉大なワインが出来ると言うのがジャイエ氏の説です。

 プリューレ・ロックが所有するこのモノポールの畑クロ・デ・コルヴェの面積は5.13haもの広さがありますが、このワインはその畑の中から樹齢に関係なくミルランダージュ(結実不良)によって生じた小さな果粒の葡萄だけを最初に選りすぐって新樽率100%で造るため、生産本数はヴィンテージによって大きく上下し、毎年3500本程度の稀少なワインで、価格も最も高価ですが、ミルランダージュの葡萄による力強さと凝縮感を持ち、「プリューレ・ロックの真髄」とも称えられる逸品です。

 次のランクに位置するのが「ニュイ・サン・ジョルジュ一級(プルミエ・クリュ)V.V.」です。このキュベは一級畑クロ・デ・コルヴェの南側に植えられた樹齢70年の古樹の葡萄から造られるヴィエイユ・ヴィーニュで、新樽率は50%、生産本数は約8500本です。

 三番目のランクがV.V.(ヴィエイユ・ヴィーニュ)が付かない「ニュイ・サン・ジョルジュ一級(プルミエ・クリュ)」となりますが、このキュベでも平均樹齢は50年であり、通常ではV.V.を名乗ってもおかしくない程の古樹の葡萄から造られており、新樽率は50%、生産本数は約8000本です。

【2.ニュイ・サン・ジョルジュ一級畑クロ・デ・コルヴェの歴史】

 今でこそドメーヌ・プリューレ・ロックのモノポールであるクロ・デ・コルヴェですが、この畑は古くから分割と統合を繰り返してきた畑です。

 「コルヴェ(Corvees)」とはフランス語の「雑役とか賦役」の意味で、その名の通り14世紀頃は税金を納めることができない農民が領主に無償の労働提供することで労働地代を払うために指定された畑でした。日本でも平安時代は「租庸調や雑徭(労役)」といった税制度がありましたが、その雑徭にあたるものです。

 その後相続等で分割・細分化したものの、15世紀後半にプレモー村の領主により統合されます。しかし、1789年のフランス革命で政府に接収され、再び分割・細分化の道をたどります。そして1900年代になってニュイ・サン・ジョルジュのネゴシアンの買戻しにより統合され、1995年にドメーヌ・プリューレ・ロックが賃借し、その後1998年に買い取り、モノポールとなったのです。

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