シャトー&ドメーヌ紹介


≪第二回 シャトー・ラフィット・ロートシルト Château Lafite Rothschild≫


【シャトー・データ】

アペラシオン(AOC) ポイヤック
格付け メドック第一級
年平均生産量 18万本
所有する畑の面積 104ha
主な葡萄品種の作付割合 カベルネ・ソーヴィニヨン70%、メルロー25%等
所有者 ドメーヌ・ド・バロン・ロートシルト(DBR)



【歴史・変遷・現状】

≪シャトーの評価とその始まり≫

 シャトー・ラフィット・ロートシルトは1855年、メドックの格付けにて「グランクリュ第1級の中の1位」を獲得して以来、今日まで五大シャトーの筆頭として君臨するワインですが、ここにも長い苦難の歴史があります。
 「ラフィット」という呼び名は中世の農園の名称として14世紀の文献に登場します。ポイヤック村の中で一番小高い丘に位置していたことから、古いガスゴーニュ語 で「小高いところ」を意味する「La Hite」(ラ・イット)が転じてラフィットとなったと言われます。
 17世紀にセギュール家がシャトー・ラフィットの所有者となり大きな転機が訪れます。1670年代から80年代にかけて、ジャック・ド・セギュールが葡萄畑を広げ、ワインの生産を本格化させたのです。

 

≪セギュール侯爵”わが心、カロンにあり”≫

 ジャックの相続人アレキサンドルは、1695年に女性相続人と結婚し、息子のセギュール侯爵ニコラ・アレキサンドルをもうけます。かくして、侯爵は、ラフィット、ラトゥール、カロン・セギュールの広大な農園を相続し、ワインの生産技術の改良に力を注ぐとともにヨーロッパ各国の上流階級へ販路を広げ、ほどなく「葡萄の王子」とあだ名されるようになりました。
 今日、セギュール侯爵の名前は、メドック格付け三級のシャトー・カロン・セギュールに残されていますが、ラフィット、ラトゥールという一級シャトーを所有しながら、「わが心、カロンにあり」と言った逸話はあまりにも有名です。
 18世紀前半のこの時代、歴史的経緯からボルドーワインの需要中心地はイギリスで、フランスの宮廷ではボルドーは田舎というイメージがあり専らブルゴーニュワインが愛飲されていました。

 

≪ポンパドール夫人とフランス宮廷≫

 ワインの歴史を語る上で決して外すことの出来ない人物が何人かいます。ルイ15世の寵愛を受けていたポンパドール夫人がその一人です。夫人はワインで王の歓心を買おうとブルゴーニュのある高名な畑を手に入れようとします。
 これが当時から最高峰と言われていた畑「ロマネ」で、結果的にコンティ公との争奪戦に敗れ、この畑を入手することは出来ませんでした。1760年のことで、この畑が後に「ロマネ・コンティ」となります。
 この争奪戦の顛末を見ていたリシュリュー男爵は、かつてポンパドール夫人を罵り、地方に左遷されていた人物でしたが、失地回復のために代りにラフィットを勧め、大いに気に入った夫人はヴェルサイユ宮殿の晩餐会で必ず飲むようになり、宮廷から全てのブルゴーニュワインを締め出したと言われます。
 これをきっかけにボルドーワインが宮廷で脚光を浴び、中でもシャトー・ラフィットはルイ15世が愛飲する「王のワイン」として名声が高まり、フランス貴族のステータスシンボルとなっていったのです。

 

≪ロートシルト家(ロスチャイルド家)登場≫

 フランス革命以降、シャトー・ラフィットは幾人かの所有者の手を経た後、19世紀前半にオランダ商人のヴィンテーンベルグ家に移ります。この時に1855年のメドックの公式格付けが行われ、シャトー・ラフイットが四つの一級シャトーの筆頭として最高評価を受けるのです。
 1868年8月ロートシルト家創設者の五男でパリに移住していたジェームズ・ロートシルトが、 ヴィンテーンベルグ家から競売に出されていたシャトー・ラフィットとシャトー・カリュアド(後にラフィットと統合される)を大金で競り落し、新たな所有者となります。
 ジェームズはこのわずか3ヵ月後に亡くなりますが、シャトー・ラフィットは「シャトー・ラフィット・ロートシルト」と改名され、ロートシルト家に引き継がれるのです。(参考までに、シャトー・ムートン・ロートシルトを所有するのはイギリスに移住した三男のロートシルト家で家系が異なります。)

 

≪苦難の時代と復活≫

 シャトー・ラフィットは19世紀末から20世紀前半は苦難の時代を迎えます。まず、葡萄畑がアメリカ大陸からもたらされた害虫フィロキセラにより壊滅的な被害を被り、第一次世界大戦で兵役や経済統制の打撃を受け、1929年の大恐慌ではワインの価格が暴落し、更に第二次世界大戦でドイツに占領され、ユダヤ系財閥のロートシルト家のシャトーは解散、セラーも略奪されてしまいます。
 1945年末、エリー・ド・ロートシルト男爵がラフィットの所有権を取り戻し、シャトーの再生に着手しますが、1960年代には評価を落とします。しかし、1974年、エリーの甥のエリック・ド・ロートシルト男爵が事業を継承、品質の向上を成し遂げ、名声を回復し、現在は醸造責任者シャルル・シュヴァリエのリーダーシップのもと、世界最高水準のワインを生み出し続けています。

 

≪シャトーの現状≫

 シャトー・ラフィット・ロートシルトは「5大シャトーのなかで最も繊細でエレガント」で、「高貴なつつしみ」とも言える奥深さを持つワインです。シャトーの敷地面積は123ヘクタールで、うち100ヘクタールが葡萄畑となっていますが、石灰質を基盤とする砂利質のテロワールはメドック最上のものです。
 生産されるワインは1万5,000から2万5,000ケースが一級格付けのグラン・ヴァン「シャトー・ラフィット・ロートシルト」として出荷され、一級の名声に達しないと判断されたワインは、セカンドラベルの「カリュアド・ド・ラフィット」となります。

Category

Recommended