【モレ・サン・ドニ概要】

 モレ・サン・ドニは、有名なジュヴレ・シャンベルタン村とシャンボール・ミュジニー村に挟まれているため、両隣の村に比べるとやや見劣りすると言われた時期もありましたが、有力生産者の出現や村全体での努力もあり、今やブルゴーニュ注目の生産地となっています。

 モレ・サンドニで特筆すべきは、比較的小さな村ながら特級畑が5つもあり、村の栽培面積136haの3割にあたる41haをこの特級畑が占めるという質の高さにあります。そのためモレ・サン・ドニの醸造家たちは「小さな村に5つもの偉大なテロワールがある」ことを誇りにしています。

 下にブルゴーニュワイン委員会作成のモレ・サン・ドニの葡萄畑の地図を掲載していますので各畑の位置を確認して下さい。

 モレ・サン・ドニは、コート・ドールの偉大な銘醸地ジュヴレ・シャンベルタンと北側で、シャンボール・ミュジニーには南側で接しているため、この影響をうけ、モレ・サン・ドニのワインは南北で大きく性格が異なることとなり、村の北側畑から造られるワインはジュヴレ・シャンベルタンに似て濃厚で力強く、南側はシャンボール・ミュジニーに似て果実味に富み、滑らかで優雅なワインと言われます。

 5つの特級畑の場合では、ジュヴレ側の「クロ・ド・ラ・ロッシュ」「クロ・サン・ドニ」はリッチでたくましいスタイル。中間に位置する「クロ・デ・ランブレイ」はクラシックでフィネスが豊かなスタイル。シャンボール側の「クロ・ド・タール」「ボンヌ・マール」は濃厚な果実味とフィネスの融合したスタイルが特徴となります。

 モレ・サン・ドニのワインの歴史は修道院の存在を抜きにすることはできません。特級クロ・ド・タールやクロ・デ・ランブレイ、ジョルジュ・ルーミエのモノポールで有名な一級畑ラ・ビュシェールなどは修道院が取得・発展させたもので、今でも当時の名前のままクリマに残っています。

 現在のモレ・サン・ドニを代表するスターは、ドメーヌ・デュジャックとドメーヌ・ポンソです。前者のドメーヌ・デュジャックはジャック・セイス氏が脱サラして1968年に創設した新興ドメーヌ、後者のドメーヌ・ポンソは1872年創設の特級畑クロ・ド・ラ・ロッシュの最大地主という老舗名門ドメーヌで、両ドメーヌは対極の存在ですが、共にブルゴーニュの超一流生産者の証である「レ・メイユール・ヴァン・ド・フランスの三ツ星生産者」で、モレ・サン・ドニのワインを今日の地位にまで引き上げた功労者です。

 この他、ロベール・グロフィエやペロ・ミノといった著名生産者もドメーヌの本拠地はモレ・サン・ドニですが、不思議なことにこの両ドメーヌはモレ・サン・ドニにはほとんど畑を持っておらず、特にロベール・グロフィエはレ・ザムルーズの最大の保有者として有名でしばしばシャンボール・ミュジニーの造り手と思われています。

【特級畑クロ・ド・ラ・ロッシュの概要】

 

 特級畑クロ・ド・ラ・ロッシュは、モレ・サン・ドニ村最北の斜面中腹に位置する面積16.9haのモレ最大のグラン・クリュで、「モレ・サン・ドニの精髄」と呼ばれるこの村を代表するワインです。また、しっかりとした骨格が際立つ、男性的かつ筋肉質で極めて長命であることでも有名で、飲み頃に到達するには少なくとも10年と言われ、「忍耐が必要なワイン」とされます。

 ロッシュとは「岩」を意味し、石灰岩の露出が目立つことからクリマの名称の由来になっています。クロ・ド・ラ・ロッシュの土壌は約30cmと薄く、石の多い粘土石灰質でミネラル分を多く含むことから、味わいの傾向としては、北隣のジュヴレ・シャンベルタンのタンニンと南隣のシャンボール・ミュジニーのフィネスの二つの特徴を映し出すと言われます。

 1861年の地図を見ると、クロ・ド・ラ・ロッシュは僅か4.57haに過ぎない小さな畑でした。 しかし、1936年の格付けの時に、周辺のモシャン(2.57ha)、フロワショ(0.64ha)、フルミエール(2.28ha)、シャビオ(2.15ha)、そしてモン・リュザン(3.74ha)の下部が含まれることになりました。更に、1971年にジュナヴリエールの下部(0.88ha)が追加で含まれ、これにより現在の面積16.9haとなっています。

 従って、現在のクロ・ド・ラ・ロッシュは元々の小区画クロ・ド・ラ・ロッシュに後から編入された6つの小区画を加えた7つの小区画から構成されていますが、1936年以降に編入された区画のほとんどはブルゴーニュ格付けの基盤となった1855年のラヴァル博士の格付けでは2級畑に格付けされていたもので、フロワショに至っては3級畑というものでした。

 ブルゴーニュの偉大な畑には、例えば、「シャンベルタンと言えばアルマン・ルソー」というように、それぞれにこの造り手が一番というクリマの指標となる造り手がいます。その言い方を踏襲すれば、「クロ・ド・ラ・ロッシュと言えばドメーヌ・ポンソ」と言うことができます。その理由はクロ・ド・ラ・ロッシュ所有者の中で群を抜く3.31haの最大所有者で、しかも後から編入された小区画ではなく、元々のクロ・ド・ラ・ロッシュに畑を所有しているためです。

【特級畑クロ・ド・ラ・ロッシュの区画図と所有者】

 

 下の畑地図は、クロ・ド・ラ・ロッシュの区画図で、7つの小区画(黄色の線で囲った部分)に17人の所有者が存在しています。なお、地図中に記載の主な所有者については、ドメーヌの公式HPや関係書籍等を基に調べたものですが、情報を全く掲載していないドメーヌもありますので、次の点にご注意下さい。

1.塗りつぶしてある生産者は、畑位置が確定しているもの(デュジャック、アルマン・ルソー、シャンタル・レミー。但し、おおよその位置を示している場合もあり、塗りつぶし部分の面積が正確なものとは限りません。)

2.塗りつぶしがなく、楕円で囲んである生産者は、小区画名は判明したものの、畑位置の特定はできないもの(例えばユベール・リニエは、モンリュイザンに0.62ha、フルミエールに0.28ha所有していますが、その畑位置は不明です)

【お薦めのクロ・ド・ラ・ロッシュ】

1.ドメーヌ・ポンソ

 ポンソのクロ・ド・ラ・ロッシュの葡萄は平均樹齢60年の古樹で、エチケットに古樹を意味するヴィエィユ・ヴィーニュ[Vieilles Vignues]の表示があります。

 1860年代欧州の葡萄は害虫フィロキセラの猛威で存亡の危機に陥りました。この経験から現代の葡萄の木はフィロキセラに対し抵抗性を持つ北米原産の葡萄を改良したものを台木として、これに欧州産の品種の挿し穂を接ぎ木して栽培することは良く知られていますが、現在世界中に流布しているピノ・ノワールの優良クローン(挿し穂)の多くは、ポンソのクロ・ド・ラ・ロッシュに起源をもっているそうです。

 ポンソは1872年にウィリアム・ポンソによって創設された歴史ある老舗名門ドメーヌで、所有するクロ・ド・ラ・ロッシュの畑はこの創設の時に入手したもので、編入・拡大する前の元々の小区画クロ・ド・ラ・ロッシュの中にあります。

 1981年に父マリー・ポンソからドメーヌを継承した、ローラン・ポンソ氏は、温度センサー付きラベルや独自に開発した合成コルクの採用など革新的な技術を取り入れ、ワインの品質を向上させ、クロ・ド・ラ・ロッシュの最大所有者でもあることから、「クロ・ド・ラ・ロッシュと言えばポンソ」と言われてきました。

 ところが2017年3月に前当主、ローラン・ポンソ氏がドメーヌを去り、新たにネゴシアン「ローラン・ポンソ」を設立し、独立するという衝撃的なニュースがワイン界を駆け巡りました。

 ローラン・ポンソ氏は「2008年のルディー偽造ワイン事件摘発の端緒が、ニューヨークでのオークションに出品されたドメーヌ・ポンソのクロ・サン・ドニに対するローラン・ポンソ氏のクレーム」からであったように、偽造ワイン摘発にも注力し、ICタグやワインケースの温度や保管状況をモニターするインテリジェント・ケースを利用し、ボトルの真正性やトレイサビリティを確保するなど、ブルゴーニュの生産者の中で一目置かれる存在でした。更に、ドメーヌ・ポンソ時代は、所有する数多くの銘醸畑と彼の天才的手法を兼ね合わせることで、他のドメーヌを圧倒するブルゴーニュ最高峰ドメーヌの一つとして君臨していましたので、ローラン・ポンソ氏がドメーヌを去るというのは衝撃的な出来事でした。

  ローラン・ポンソ氏自身は何も語っていませんが、恐らくこの背景にはブルゴーニュお決まりの相続問題が絡んでいるとみられています。ドメーヌ・ポンソは家族経営で、ローラン氏とその姉妹のローズマリー、カトリーヌ、ステファニーの4人によって所有されていますので、ローラン氏はドメーヌの持ち株の25パーセントを所有している状態でした。

 今後分割相続となった場合は、ドメーヌの畑が分散して、現在のようなポートフォリオを組むことは不可能で、また、それを避けるために家族から株を購入するには莫大な資金が必要となります。従って、早い段階でネゴシアン・ビジネスに移行しておけば、畑の相続とは無関係に(ドメーヌの持ち株比率25%を所有したままで)、自分が理想とするワインを生産し続けられ、かつ息子クレメン氏への事業継承も簡単になるわけです。

 近年は税金対策のため、ネゴシアンを設立して、そこがドメーヌワインを買い上げる形にしているドメーヌも多く、ブルゴーニュの大半のドメーヌがネゴシアン業も営んでいる実態があり、今回ローラン・ポンソ氏が、息子クレメン氏と共に自分の名を冠したネゴシアンを設立したのは、そのあたりに理由があると思われています。

 従って、ローラン・ポンソ氏がドメーヌを去ったとは言え、喧嘩別れのようなトラブルによるものではなく、またローラン・ポンソ氏自身もドメーヌの持ち株の保有者ですのでドメーヌとは無関係ではなく、今後のドメーヌ・ポンソの運営やワイン造りにはなんら問題はないようです。

  2.ドメーヌ・デュジャック

 ドメーヌ・デュジャックの歴史はまだ浅く、創設者ジャック・セイスが1967年にモレ・サン・ドニに4.5haの畑を買い取ったことに始まります。その後、モレ・サン・ドニを本拠地として銘醸畑を次々に買収し、優れたワインを生産しドメーヌの規模を急速に拡大しました。

 このデュジャックのワインが、それまで無名であったモレ・サン・ドニをスター・ワインにまで高めたことからモレ・サン・ドニの救世主とも呼ばれています。

 そして2005年に念願のブルゴーニュ・ワインの王様と称されるシャンベルタンと歴史あるロマネ・サンヴィヴァンを取得し、合計7つの特級畑を所有する名実共にブルゴーニュのトップ生産者の地位を一代で築いたのです。

 現在はジャックの息子、ジェレミー(1975年生まれ)とアレック(1977年生まれ)がそれぞれ醸造と販売を担当し、ドメーヌを引き継いでいます。

 現在デュジャックが所有しているクロ・ド・ラ・ロッシュの畑の大半は創業者ジャック・セイス氏が1967年にドメーヌ・グライエを買収した時に入手したもので、その後1977年と1990年に畑を買い増して現在の1.95haの面積となっており、最良小区画クロ・ド・ラ・ロッシュを中心に、シャビオ、フルニエール、フロワショ、モン・リュイザンの5つのパーセルの葡萄をアッセンブラージュしたクロ・ド・ラ・ロッシュは、デュジャックの看板ワインの一つとなっています。

3.ドメーヌ・アルマン・ルソー

 ドメーヌ・アルマン・ルソーは、ブルゴーニュで最も偉大なドメーヌの一つで、ブルゴーニュとジュヴレ・シャンベルタンを語るには欠くことのできない生産者です。

   

 アルマン・ルソーの所有する畑の特徴は、何といってもその豪華さで、所有する約15haの内、村名畑はわずか3ha、一級畑も4ha弱に止まる一方で、特級畑が8ha以上を占めています。

   

 クロ・ド・ラ・ロッシュはルソー家が本拠地ジュヴレ・シャンベルタン以外に所有する唯一の特級畑で、所有する畑面積は1.5haですが、二区画に分かれており、小区画レ・フルニエールにある1haは1920年代に購入されたもの、もう一つの0.5haの区画は元々の小区画クロ・ド・ラ・ロッシュ内にあって、1975年の購入後すぐに植え替えをしたもので、この二区画の葡萄を一緒に仕込んでいます。

4.ドメーヌ・ユベール・リニエ

 2003年、若くして天才醸造家との名声を得ていたロマン・リニエ氏の死後、ドメーヌは相続を巡る確執があり、ドメーヌに名を残す、彼の父で引退を撤回・復帰した老匠ユベール・リニエ氏と亡きロマン氏の妻で未亡人となったケレン・リニエ氏のリュシー・エ・オーギュスト・リニエの二つに分かれ、2005年までは別々のエチケットが存在しました。

 その後、紆余曲折を経て、この問題は解消され、ドメーヌ・ユベール・リニエはユベールの長男であり、ボーヌの大手ネゴシアンのアルベール・ビショで働いていたローランが五代目当主としてドメーヌに入り、以前と同じラベルでワイン造りが継続されることになり、世界的に有名なブランドであるユベール・リニエの名前とラベルは、老父と長兄が守ることになりました。

 これに伴いリュシー・エ・オーギュスト・リニエとのメタヤージュ契約も2014年に解消された結果、看板ワインの特級クロ・ド・ラ・ロッシュは全てドメーヌに返還され、栽培から醸造までドメーヌ・ユベール・リニエによって造られるようになり、名門ドメーヌは完全復活の状態に戻りました。

 

 ドメーヌ・ユベール・リニエがこの特級クロ・ド・ラ・ロッシュに所有する面積0.90haは、小区画モン・リュイザン(0.62ha) とレ・フルミエール(0.28ha)の中にあり、樹齢50年〜60年の古樹の葡萄から造られるクロ・ド・ラ・ロッシュは、色調は濃く、タンニンは濃縮され絹のようで、長期熟成のために造られた素晴らしいワインとして、このクリマを代表するクロ・ド・ラ・ロッシュの一つと称えられています。

5.ドメーヌ・シャンタル・レミー(旧ルイ・レミー)

 代々ブルゴーニュの大地主の名家であり、有数の生産者であったレミー家の歴史は1821年にまで遡ります。ジュヴレ・シャンベルタンとモレ・サン・ドニに二つのドメーヌを構え、モレ・サン・ドニはルイ・レミー、そしてジュヴレ・シャンベルタンは弟のフィリップ・レミーが相続していました。

 しかし、1989年にジュヴレ・シャンベルタンのフィリップ・レミーはドメーヌ・ルロワに畑を売却しドメーヌを閉鎖することとなります。

 一方、モレ・サン・ドニのドメーヌ・ルイ・レミーは、1959年まで伝説の「シャンベルタン・ブラン」を造っていたことでも有名でしたが、1982年のルイ・レミーの死後、妻とその娘シャンタルがドメーヌを継承しますが、2008年に母の死亡後兄弟の相続の関係で、所有していた畑の2/3を売却することとなり、現在所有している畑は縮小してしまいます。しかし、2009年にルイ・レミーから改称したシャンタル・レミーは、規模こそ小さいものの特級シャンベルタン、ラトリシエール・シャンベルタン、クロ・ド・ラ・ロッシュの等の素晴らしい畑を手元に残しています。

 レミー家が所有するクロ・ド・ラ・ロッシュの畑はグラン・クリュ街道沿いに位置する小区画レ・モシャンの最もジュヴレ・シャンベルタン寄りにある僅か0.4haの区画で、畑の位置を示すドメーヌのゲートが設置してあります。

6.ドメーヌ・コカール・ロワゾン・フルーロ

 ドメーヌ・コカール・ロワゾン・フルーロは、モレ・サン・ドニ村のコカール Coquard家とフラジェ・エシェゾー村のロワゾン Loison家の結婚によって誕生した5世代続くドメーヌです。

1982年の四代目レイモン・コカールの引退後、相続による畑の分割を避けるため、レイモンの2人の娘(姉シルヴィアンヌ・フルーロと妹マリーズ・コラルド)がシルヴィアンヌの夫 ジェラール・フルーロと3人でドメーヌを法人組織化し、3つの家族の名前を取ってドメーヌ名をコカール・ロワゾン・フルーロとしたものです。

 生産量の約3割が、ドミニク・ローランやルイ・ジャドといったネゴシアンに販売され、ドメーヌ元詰めされた残りの7割が、古くからヨーロッパの個人客に直売されていたため、日本ではあまり知られていないドメーヌですが、フランスで毎年80万部を売るベストセラーのワインガイド「ギド・デュセール・ジェルベ」の2010年版においてはコート・ド・ニュイの造り手としてDRCと同じ5つ星の最高ドメーヌに格付けされ,2015年版においても最高の5クール(栄誉賞)を獲得している知る人ぞ知る優良ドメーヌなのです。

 ドメーヌが所有する特級畑もこのクロ・ド・ラ・ロッシュを始め、グラン・ゼシェゾー、エシェゾー、クロ・ド・ヴージョ、クロ・サン・ドニ、シャルム・シャンベルタンと実に豪華で、最近専門誌や有力ワイン店で、「フラジェ・エシェーゾー村の秘宝ドメーヌ」として紹介されることが多くなってまいりましたので、日本でもこの長いドメーヌ名をご存知の方も多くなっていると思います。

 ドメーヌ・コカール・ロワゾン・フルーロが、クロ・ド・ラ・ロッシュに所有している区画は小区画レ・シャビオとレ・モシャンの中にある合計1.17haの畑です。

 特筆すべきはその葡萄の樹齢で、レ・シャビオは樹齢64年、レ・モシャンは樹齢37年の古樹の葡萄から生まれるヴィエイユ・ヴィーニュのクロ・ド・ラ・ロッシュです。

 美しく凝縮したローブと絹のようなタンニンを備えたガッチリとしたボディで、アタックは豊満で際立っており、粘性と複雑さが感じられる極めて長命なワインです。

【ドメーヌ・ポンソのクロ・ド・ラ・ロッシュはこちらからどうぞ】

【ドメーヌ・デュジャックのクロ・ド・ラ・ロッシュはこちらからどうぞ】
【ドメーヌ・アルマン・ルソーのクロ・ド・ラ・ロッシュはこちらからどうぞ】
【ドメーヌ・ユベール・リニエのクロ・ド・ラ・ロッシュはこちらからどうぞ】
【ドメーヌ・シャンタル・レミーのクロ・ド・ラ・ロッシュはこちらからどうぞ】
【ドメーヌ・コカール・ロワゾン・フルーロのクロ・ド・ラ・ロッシュはこちらからどうぞ】
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