【クロ・ド・ヴージョ概観】

 ヴージョの歴史は1098年シトー派の修道院の設立によって始まります。以降修道士たちはヴージョ村に次々に葡萄畑を獲得・開拓していきます。ブルゴーニュの畑名で多い「クロ」とは「石垣で囲われた畑」の意味ですが、ヴージョでは既に1228年の文献に「シトー派による偉大なクロ」の記述があります。

 更に13世紀から14世紀にかけてのシトー派の勢力や権力の伸長に伴い、その造るワインが評判になると同時に政治の道具にもなったことから規模は飛躍的に拡大され、1789年のフランス革命により、畑を没収され、競売にかけられるまで続きます。

 ブルゴーニュ・ワインのシンボル「シャトー・ドュ・クロ・ド・ヴージョ」(クロ・ド・ヴージョ城)は、フランス革命まではワイナリーとして周辺一帯の葡萄を醸造していたのです。現存するクロ・ド・ヴージョ城は1551年に第48代シトー会修道院長のドン・ロワジエにより再建されたもので、現在は博物館と利き酒騎士団の本拠になっています。

 AOCとしてのヴージョの特徴はなんと言っても、村唯一の特級畑クロ・ド・ヴージョが村の葡萄畑のほとんどを占めることです。村の葡萄畑の全作付面積は65.86haですが、その内クロ・ド・ヴージョが50.96ha(77%)を占めています。反面、村名格畑はわずか3.22haに過ぎないことから、ヴージョは村名アペラシオンがコートドールで最少の村としても知られます。

【クロ・ド・ヴージョ細分化の歴史と経緯】

 

 クロ・ド・ヴージョはフランス革命で1790年に畑が没収されるまで、シトー会修道院が全て所有していましたが、フランス革命後、分割・細分化が進み、今日の状況にまで至っていますが、その歴史と経緯は次の通りです。

 フランス革命に際し没収され、シトー派修道院の手を離れましたが、1889年まではジュリアン・ジェーン・ウヴラールとその後継者による単独所有の畑でした。

 1889年にブルゴーニュのネゴシアン6社に売却され、その後すぐに所有者が15名となります。この中で最大面積の所有者であったのがレオンス・ボッケで、彼はクロ・ド・ヴージョの建物と共に15haの畑を持っていました。

 第一次世界大戦後の1920年にこのボッケが所有していた15haが売りに出され、これによりクロ・ド・ヴージョの所有者は一挙に40人に増えます。この時、ドメーヌ・メオ・カミュゼ初代当主エティエンヌ・カミュゼがクロ・ド・ヴージョ城とその周辺の畑を入手したのです。

 これ以降、フランス特有の相続法の関係から婚姻や死去に伴う畑の分割・細分化が進み、今日の107区画に80名に近い所有者が存在する状況にまでに至っています。

 1787年にフランスのワイン畑を視察し、格付けを記した、かのトーマス・ジェファーソン(アメリカ独立宣言の起草者で、第3代米国大統領、当時は駐フランス公使)によれば、当時ブルゴーニュで最高のワインは、シャンベルタン、ロマネ(今のロマネ・コンティ)、モンラッシェそしてクロ・ド・ヴージョであり、これら四つのワインの価格は同じだったそうで、正に「栄光のクロ・ド・ヴージョ」であったわけです。

【クロ・ド・ヴージョ区画図】

 11世紀からの由緒ある輝かしい歴史を持つ特級畑クロ・ド・ヴージョですが、上述の経緯により大変不幸なことに、50.96haの広い面積に78名もの所有者が存在することが、特級クロ・ド・ヴージョの評価を過小かつ不遇なものにしています。下にクロ・ド・ヴージョの区画図を掲載したのでご覧ください。この地図は、当店店長が、ブルゴーニュ大全等の資料を基にエクセルで描画したものなので、縮尺(畑の大きさ)は正確ではありませんが、クロ・ド・ヴージョの小区画や主要所有者の保有区画、更にヴージョ周辺の村の葡萄畑の位置関係の理解の参考になると思います。

 特級畑クロ・ド・ヴージョは、その面積の広さからブルゴーニュ最大のグラン・クリュですが、上の地図を見て直ぐに分かる通り、畑の上部はシャンボール・ミュジニーの珠玉の特級畑「ミュジニー」やフラジェ・エシェゾー村の特級畑「グラン・エシェゾー」に隣接しているのに対し、畑の下部は国道74号線にまで達しており、隣り村の村名格畑と同じ標高・立地条件にあります。従って、クロ・ド・ヴージョのワインは均一ではなく、しかも転売や相続などによる畑の細分化で生産者も多数であることから、まさに「玉石混交の特級ワイン」となっているのです。

 ロマネ・コンティを筆頭とする幾つかのモノポール(単独占有畑)を除き、通常一つの畑に複数の生産者が存在するブルゴーニュでは畑と生産者の組合せが重要ですが、ここクロ・ド・ヴージョにおいては、特に畑の区画位置と生産者が品質の決定要因となります。その意味で、クロ・ド・ヴージョは最もブルゴーニュらしいワインと言えるのではないでしょうか。

 1831年の資料によると、クロ・ド・ヴージョは上部の『水はけ良好な石灰質の土壌』が「教皇の畑」、中央の 『砂利の多い一帯』は「王の畑」、下部の『粘土質の一帯』が「修道士の畑」として扱われていました。一般的には、特級に相応しいワインは上部の畑から造られますが、下部の畑も同じ特級クロ・ド・ヴージョを名乗れる上に、生産者の技量も加わるので、期待外れのワインも多いことから消費者にとっては非常に選択が難しく、これが約1000年もの由緒ある歴史を有する偉大なクロ・ド・ヴージョに対する正当な評価を妨げているのではないかと思います。

 

 古来よりクロ・ド・ヴージョの畑は小区画の位置により品質が異なるとされており、その小区画が示された古地図も残存しています。下の地図は、上に掲載したクロ・ド・ヴージョの葡萄畑地図の上に、古地図に示されている小区画の位置を重ねたものです。どの所有者が、どこの小区画に畑を持っているのか二つの地図を見比べて下さい。  もっとも、この小区画名は、数の単位や広さの単位、さらに土地の高低の表現がほとんどであり、幾つかを除いて、あまり魅力的なネーミングとはいえません。

 

 多くの生産者はこの小区画名をエチケットにつけることなく、単に「クロ・ド・ヴージョ」として造っているのがほとんどで、これらの小区画名は捨てられたと同然の状態です。この中で例外と言える小区画は、ドメーヌ・アンヌ・グロとミッシェル・グロ及びグレート・ヴィンテージの2009年限定でドメーヌ・メオ・カミュゼが付けた「グラン・モーペルテュイ」とグロ・フレール・エ・スールの「ミュジニ」の二つだけです。

 

 グラン・モーペルテュイは畑の上部で隣のフラジェ・エシェゾー村の特級畑グラン・エシェゾーに隣接するヴージョ最高と言われる小区画、またミュジニは、同じく畑の上部で、シャンボール村の珠玉の特級畑「ミュジニー」に隣接する優良な小区画であるだけに、優良生産者がこの小区画名をワインのエチケットにつけることで、他の多くのクロ・ド・ヴージョとの差別化を図り、クロ・ド・ヴージョの輝きを一日も早く取り戻して欲しいと一人のブルゴーニュ・ラヴァーとして心から願っています。

 上の二つの地図により畑の区画位置と生産者の組合せの観点から優良なクロ・ド・ヴージョを幾つかご紹介しますが、その前提として次の点にご留意下さい。

 上述したように、一般的には、クロ・ド・ヴージョは教皇の畑と言われていた上部の区画が優れていると考えられていますが、実際にはそれほど単純ではなく、畑全体に斜面の麓から上部にかけてなだらかな傾斜や波のようなウネリがあり、場所ごとにテロワールは微妙に異なっているようで、例えば最も優れた(価格面でも最も高価な)クロ・ド・ヴージョを産み出すドメーヌ・ルロワも所有畑の約半分は下部の区画にあります。

 フランス革命で1790年に畑が没収されるまで、シトー会修道院が全て所有していたクロ・ド・ヴージョは、ロマネ・コンティやシャンベルタンと並び称されていた銘酒でしたが、これは単一テロワールがもたらしたものではなく、様々な小区画から生まれるワインを寄せ集めてブレンドするというシトー会修道士たちのボルドー的な熟練した技術にあったとされています。

 ですから、やはり最終的には、小区画の位置だけではなく、畑の耕作と葡萄の栽培・剪定、収量・選果そして醸造技術の腕前が品質を左右すると思われ、この点を考慮して優良なクロ・ド・ヴージョをご紹介しています。

【1.ドメーヌ・メオ・カミュゼ】

 メオ家の畑面積は合計で3.03haですが、その中心となる区画の位置は、クロ・ド・ヴージョ城に隣接する最上の区画のシウル[Chioures]のもので、初代エティエンヌ・カミュゼが1920年にクロ・ド・ヴージョ城と一緒に手に入れたものです。メオ・カミュゼは、これ以外にも特級畑グラン・エシェゾーと接するヴージョ最高の優良小区画とされるグラン・モーペルテュイ[Grand Maupertui]内等にも分散して少量の畑を所有しており、これらをブレンドして最上級のクロ・ド・ヴージョを造っています。

 しかし、葡萄が質量ともに素晴らしい出来であったヴィンテージではメオ・カミュゼは二つの銘柄のクロ・ド・ヴージョをリリースしています。つまり、クロ・ド・ヴージョ城直下の畑の葡萄で造った「プレ・ル・セリエ」とジャン・タルディから2007年に返還された最良の小区画「グラン・モーペルテュイ」の二つのクロ・ド・ヴージョで、過去に二度、2009年と2017年にリリースされています。 この二つのクロ・ド・ヴージョの内、「グラン・モーペルテュイ」は僅か0.19haの小区画であるため、生産量が少なく、稀少ワインとして人気があります。

上の写真はクロ・ド・ヴージョ城正面から左手に広がるメオ家の葡萄畑です。

【2.ドメーヌ・アンヌ・グロ】

 現在名門グロ一族の中で実力・人気ともNo.1と評価されているのがドメーヌ・アンヌ・グロです。アンヌ・グロの区画は、グラン・モーペルテュイ[Grand Maupertui]の小区画内にあり、グラン・エシェゾーに隣接する斜面上部の南向きの0.93haの区画です。

【3.ドメーヌ・ミシェル・グロ】

 名門グロ一族の嫡流ドメーヌであるドメーヌ・ミシェル・グロも小区画グラン・モーペルテュイ内のアンヌ・グロと隣り合った僅か0.20haの区画を所有しており、ここから小区画名グラン・モーペルテュイを付けたクロ・ヴージョを造っています。生産本数が少ないことに加え、植えられている葡萄樹が1986年に植え替えられたため、しばらくは市場で見ることがありませんでしたが、改植後30年を過ぎ、ようやくドメーヌとして満足できるクロ・ヴージョをリリースするようになりました。アンヌ・グロもミシェル・グロも、この好立地を際立たせるため、小区画名グラン・モーペルテュイをエチケットにも表記しています。ただグラン・クリュとして認めているのはクロ・ド・ヴージョだけのため、多くの生産者は小区画名は付けていません。

 例外は、このアンヌ・グロやミシェル・グロのグラン・モーペルテュイと同じグロ一族のグロ・フレール・エ・スールのミュジニ[Musigni](畑最上部で特級ミュジニーの下)の二つで、いずれも最高の小区画です。本来はこのような優良な小区画を別格のアペラシオンとすべきなのでしょうが、格付けの見直しは利害関係が交錯し、裁判沙汰になるのが常なので難しいでしょうね。

【4.ドメーヌ・ジャン・グリヴォ】

 ドメーヌ・ジャン・グリヴォは18世紀の末にまで遡る、ヴォーヌ・ロマネの由緒正しき造り手です。初代のオーナーはジョセフ・グリヴォ氏で、ヴォーヌ・ロマネに拠点を置き、ニュイ・サン・ジョルジュ等に畑を所有していました。現当主エティエンヌ・グリヴォ氏の祖父にあたるガストン氏の時代の1919年にこれまで所有していた畑を売り払い、念願の特級畑クロ・ド・ヴージョを入手します。ジャン・グリヴォはクロ・ド・ヴージョで7番目の大きさの面積1.86haを所有する大地主で、国道74号線沿いにある有名なクロ・ド・ヴージョの「ジャン・グリヴォの門」はこの時造られました。

 ジャン・グリヴォの所有区画は国道74号線に沿った下部にありますが、1.86haものまとまった区画を持つジャン・グリヴォのクロ・ド・ヴージョは、「クロ・ド・ヴージョの下部からは良いワインはできないという定説を覆す力を持つワイン」で、ブルゴーニュワイン大全の著者ジャスパー・モリス氏も、「重量感はあるが重すぎることはなく、この原産地呼称のワインにしばしば欠けている官能的魅力を備えている。」と高く評価しています。

【5.ドメーヌ・フランソワ・ラマルシュ】

 あのロマネ・コンティとラ・ターシュに挟まれた稀有のモノポール「ラ・グランド・リュ」で知られるドメーヌ・フランソワ・ラマルシュもクロ・ド・ヴージョに立地条件の良い四つの区画で合計1.35haの面積のまとまった畑を所有していますが、その内二つの区画はクロ・ド・ヴージョ城のすぐそばに、他の一つは特級畑エシェゾーと接する古区画プティ・モーペルテュィ内に、残りの一つは下部ですがルロワと近接した所にあり、これらをブレンドすることで、素晴らしいクロ・ド・ヴージョを造っています。

【6.ドメーヌ・ド・モンティーユ】

 2005年にドメーヌ・トマが所有していたクロ・ド・ヴージョ城真下の区画0.29haを買収したヴォルネイの大御所ドメーヌ・ド・モンティーユのクロ・ド・ヴージョも見逃せません。

【7.ドメーヌ・フォレ・ペール・エ・フィス】

あの有名な特級ロマネの畑仕事と醸造をリジェ・ベレールから委託されていた凄腕の職人レジ・フォレが率いるドメーヌ・フォレ・ペール・エ・フィスのクロ・ド・ヴージョの所有する区画は畑最下部にある0.30haほどの小さな畑ですが、有名生産者ドニ・モルテの区画と近接しており、畑仕事を最も重視するレジ・フォレが造るクロ・ド・ヴージョはコストパフォーマンスが非常に高いことで人気があります。

【8.ドメーヌ・アラン・ユドロ・ノエラ】

 これまでに挙げた生産者はいずれもヴォーヌ・ロマネやヴォルネイの造り手ですが、残念ながら、これまではヴージョに本拠地を置く「クロ・ド・ヴージョのスペシャリスト」と評価される生産者は見当たりませんでした。しいて名前を挙げれば、ヴージョ畑内に唯一の醸造所を持つ最大の畑所有者シャトー・ド・ラトゥールでしょうか。近年ワインの質が飛躍的に向上していると言われますが、まだまだ最高峰生産者と呼ばれるまでには至っていないのではないでしょうか。

 ところが、近年ヴージョに本拠を置く、人気・評価とも急上昇のスター・ドメーヌがあります。その名は、ドメーヌ・アラン・ユドロ・ノエラで、アンリ・ジャイエと比肩された伝説の造り手シャルル・ノエラ(1988年に畑をルロワに売却し、名称は消滅)の偉大なテロワールとワイン造りの情熱を受け継いだ名門ドメーヌです。現当主は創設者アラン・ユドロの孫にあたる1988年生まれのシャルル・ヴァン・カネイ氏(Charles Van Canneyt)で、2008年に弱冠20歳でこのドメーヌを引き継いでいます。

 ドメーヌ・アラン・ユドロ・ノエラは、シャンボール・ミュジニー生まれのアラン・ユドロ氏とヴォーヌ・ロマネに本拠を置いた名門ドメーヌ・シャルル・ノエラの孫娘オディル氏が結婚後1964年にヴージョで創設したドメーヌです。その後1978年にオディル夫人が祖父シャルル・ノエラの所有畑の4分の1を受け継ぎ、ヴォーヌ・ロマネからシャンボール・ミュジニー、ニュイ・サン・ジョルジュにかけて一挙に珠玉の畑を所有することとなります。

 ここクロ・ド・ヴージョにおいても、クロ・ド・ヴージョ城裏手でルロワと隣接するガレンヌの小区画とメオ・カミュゼのシウルと隣接する小区画内に合わせて0.69haの畑を所有しています。ルロワの区画と隣接しているのは、両方の区画とも元々シャルル・ノエラの一つの畑であったものが、アラン・ユドロ・ノエラは相続により、またルロワは買収によりそれぞれ取得したためです。

【9.ドメーヌ・ジャン・ジャック・コンフュロン】

 ドメーヌ・ジャン・ジャック・コンフュロンは、ニュイ・サン・ジョルジュのお隣プレモー・プリセ村に拠点を置くドメーヌで、ヴージョのドメーヌ・アラン・ユドロ・ノエラと同様、かつての名ドメーヌ、シャルル・ノエラの系譜にあるドメーヌです。

 ドメーヌの名称ともなっている前当主ジャン・ジャックの伴侶はかつての名ドメーヌ、シャルル・ノエラの孫娘にあたるため、多くの銘醸畑を受け継ぐこととなり、ドメーヌの至宝、特級ロマネ・サン・ヴィヴァン、クロ・ド・ヴージョはその相続によりポートフォリオに加わったものです。

 元々シャルル・ノエラが所有する一つの畑であったクロ・ド・ヴージョにおいて、シャルル・ノエラゆかりの3ドメーヌが所有する区画は、隣り合うこととなり、ジャン・ジャック・コンフュロンが所有する区画はルロワとアラン・ユドロ・ノエラに挟まれていますが、この区画は古くから「教皇の畑」と呼ばれてきた畑上部の最優良区画内で、クロ・ド・ヴージョ城裏手のガレンヌの小区画にある秀逸な畑です。

 ルロワのクロ・ド・ヴージョのリリース価格を考慮すると同じテロワールを有するアラン・ユドロ・ノエラとジャン・ジャック・コンフュロンのクロ・ド・ヴージョは大変お買い得なのではないでしょうか。

【10.ドメーヌ・ジョルジュ・ミュニレ・ジブール】

 ドメーヌ・ジョルジュ・ミュニレ・ジブールは、クロ・ド・ヴージョ城直下にある0.34haの最高の区画を所有しており、樹齢55年の古樹から造られるワインは専門家からはクリマを代表する逸品との評価を得ており、またドメーヌではこのクロ・ヴージョを「リュショット・シャンベルタンの強さとフィネス、エシェゾーのエレガンスの折衷」と評し、ドメーヌの試飲でも最後に供されており、ドメーヌが所有する看板の三つの特級畑の中でトップ・キュベに位置付けられています。

【11.ドメーヌ・デュージェニー】

 ボルドーの雄シャトー・ラトゥールがヴォーヌ・ロマネのルネ・アンジェルの畑を継承し、創設したのが、ドメーヌ・デュージェニーです。

 デュージェニーのクロ・ヴージョの畑は、特級畑グラン・エシェゾーに隣接するクロ・ヴージョの丘の最後部に位置する好立地区画で、区画の高台部分は粘土質石灰土壌、低地部は粘土質泥土土壌で構成されており、そこに植えられた樹齢60年の葡萄樹が1.37haの土地に広がっています。

 デュージェニーのワインは完全除梗で造られますが、2007年からクロ・ヴージョだけは除梗葡萄によるキュヴェと全房葡萄によるキュヴェのブレンドで造られます。この組み合わせは精妙さと相互補完性を生みだします。つまり、全房葡萄は密に折り重なるタンニンと長い余韻をもたらし、もう一方の除梗葡萄は丸みや豊かな風味をワインにもたらします。

 ルネ・アンジェルの時代から特級クロ・ヴージョはグラン・ゼシェゾーと並び称されるドメーヌの看板ワインでしたが、それを継承したデュージェニーのクロ・ヴージョも特級畑エシェゾーのストラクチャーとグラン・ゼシェゾーのフィネスを併せ持った、驚くほど上品な味わいを持った逸品です。

【12.ドメーヌ・プリューレ・ロック】

 ドメーヌ・プリューレ・ロックは、マダム・ルロワの甥にあたるアンリ・フレデリック・ロックが1988年に創立したまだ歴史の浅いドメーヌですが、ルロワとDRCの遺伝子を継承し、独自の感性でつかみとったビオディナミ栽培と自然な醸造法により優れた畑の力を生かすワインを造り、今やブルゴーニュを代表する最高峰人気生産者の一人です。

 ドメーヌ・プリューレ・ロックはクロ・ ド・ヴージョの中で上部区画に位置する0.6236haを所有しており、葡萄樹は、1929年、1949年、1969年の三段階で植樹されています。平均樹齢65年以上の老樹から造られるワインは、力強く、深みのある風味で、堂々として落ち着いた風格は熟成後の大輪の開花を予感させます。

 

 また、黒い果実やビターチョコレートを思わせる複雑な果実味。肉付きの良い口当たり、贅沢なまでの樽香、余韻に残るしっかりとしたタンニンが調和した逸品で、生産量は約2400本の稀少品です。

 このように考えてみると、畑のテロワールと造り手の技量によって玉石混交のクロ・ド・ヴージョの中で、真のクロ・ド・ヴージョを探すことこそがブルゴーニュ・ラヴァーにとって腕の見せ所であり、喜びではないでしょうか。また、ワイン愛好家として嬉しいことは、現在のクロ・ド・ヴージョはやや地味な存在のため、近年ブルゴーニュワインが価格高騰する中においても、上述の最上級のものでも他AOCの特級ワインと比べてリーズナブルな価格で入手できることです。

 ドメーヌ・メオ・カミュゼとドメーヌ・アンヌ・グロ、ドメーヌ・アラン・ユドロ・ノエラの極上のクロ・ド・ヴージョ、そして上述した優良生産者が造るコストパフォーマンスの高いクロ・ド・ヴージョ、いずれもお勧めしたい一本です。

【メオ・カミュゼの造るクロ・ド・ヴージョは

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【アンヌ・グロの造るクロ・ド・ヴージョ グラン・モーペルテュイは

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【ミシェル・グロの造るクロ・ヴージョ グラン・モーペルテュイは

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【ジャン・グリヴォの造るクロ・ド・ヴージョは

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【アラン・ユドロ・ノエラの造るクロ・ド・ヴージョは

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【フランソワ・ラマルシュの造るクロ・ド・ヴージョは

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【フォレ・ペール・エ・フィスの造るクロ・ヴージョは

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【ドメーヌ・ド・モンティーユの造るクロ・ヴージョは

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【ドメーヌ・ジョルジュ・ミュニレ・ジブールの造るクロ・ヴージョは

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【ドメーヌ・ジャン・ジャック・コンフュロンの造るクロ・ヴージョは

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【ドメーヌ・デュージェニーの造るクロ・ド・ヴージョは

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【ドメーヌ・プリューレ・ロックの造るクロ・ド・ヴージョは

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