【ジュヴレ・シャンベルタン概要】

 九つのグラン・クリュを擁するブルゴーニュ・ワインの王様の地、それがジュヴレ・シャンベルタン村です。ジュヴレ・シャンベルタン村は、コート・ドールの中でグラン・クリュを擁する村としては最北端にあり、ディジョンを起点に葡萄畑を縦走するグラン・クリュ街道(県道122号線)を南下するとこの村で最初にグラン・クリュに遭遇します。

 九つのグラン・クリュ以外にも、村北部のコート・ド・サン・ジャック地区には、クロ・サン・ジャックを始めとする銘醸一級畑群があり、まさにブルゴーニュ・ワインの王様にふさわしい陣容となっています。

 下の図は、ジュヴレ・シャンベルタンの特級・一級畑の葡萄畑の地図です。この地図は、当店店長が関係資料を基に、エクセルで描画したオリジナルですので、縮尺や形は正確ではありませんが、ジュヴレ・シャンベルタン村の葡萄畑の概要を把握する参考になると思います。

【クロ・サン・ジャック区画図】

 その著書「コート・ドールの葡萄と銘酒の歴史と統計」で、ブルゴーニュの畑の格付けに大きな影響を与えたディジョン大学のジュール・ラヴァル博士は、このクロ・サン・ジャックを一級畑の筆頭としており、格上の特級畑に位置付けられていたのは、シャンベルタンとシャンベルタン・クロ・ド・ベーズだけでした。 

 現在でもブルゴーニュ最高の一級畑とも言われるクロ・サン・ジャックは特級畑を上回る評価を受けており、ジュヴレ・シャンベルタンの盟主ドメーヌ・アルマン・ルソーでもシャンベルタン及びクロ・ド・ベーズに次ぐ3番目の特級扱いをされています。 

 このクロ・サン・ジャックが特級畑ではなく一級畑に格付けされた理由について、ジャスパー・モリス氏はその著書の中で次のように述べています。「格付けが行われた当時、この畑を所有していたのは俗物のムシュロン公爵で、特級畑申請のために必要な書類作成を書くのを億劫がったことや格付けの会議を馬鹿にして外で煙草を吸っていて、その間に決定がされた」 つまり、伯爵のためにクロ・サン・ジャックに一級畑の地位を与えようと言うものは誰もいなかったので、一級畑になったのだそうです。

 いずれにせよ、伯爵は所有地の手入れをするより、社交の方に関心があったようで、1955年に畑を手放すことになり、現在このクロ・サン・ジャックはたった5人の生産者が所有しているにすぎません。アルマン・ルソー、フーリエ、ルイ・ジャド、ブリュノ・クレール、シルヴィ・エスモナンがその5人です。これら所有者達にはこのクロ・サン・ジャックを特級畑への昇格を求める動きは全くなく、比類なき一級畑として孤高の存在に留めおきたいようです。

 

 クロ・サン・ジャックの畑の区画の特徴は、5人の生産者が6.7haの勾配の大きい斜面の上部から下部まで縦方向にパーセルを持っていることです。このため各生産者は、斜面上部の白色の泥灰質土壌から下部の茶色の粘土質土壌までの複雑に変化する畑を所有していて、これは一貫した品質のワインを造る上で極めて重要で、これにより、クロ・サン・ジャックは標高と土壌から微妙に異なるキャラクターの葡萄がブレンドされ、複雑深遠なワインとなるのです。

 下に5名の生産者がクロ・サン・ジャックに所有する区画図を中心とした葡萄畑の地図を掲載しています。この区画図と地図は当店店長がいろいろな資料を調べてエクセルで描画したオリジナル地図ですので、縮尺や形状は正確ではありませんが、下のグーグルの航空写真と見比べてクロ・サン・ジャックの理解の参考にして下さい。

最後に5名の所有者について簡単に記載しておきます。

1.アルマン・ルソー

 クロ・サン・ジャックの最大の所有者はジュヴレ・シャンベルタンの盟主ドメーヌ・アルマン・ルソーで、最も南のパーセルに2.22haを所有しています。 アルマン・ルソー家の試飲の順序でも幾つかの特級ワインを抑えて二つの別格の特級の前に供される三番目の位置にあり、そして価格も同様となっています。5名の生産者のクロ・サン・ジャックの中で、次のフーリエと並んで最も価格が高く、入手困難なクロ・サン・ジャックです。

2.フーリエ

 今ブルゴーニュで大人気のドメーヌ・フーリエの所有区画はアルマン・ルソーの隣の0.89haで、5名の所有者の中では最も小さい面積の区画です。フーリエのクロ・サン・ジャックの魅力は、葡萄の樹齢にあります。植えられている葡萄樹は1910年にまで遡るもので、豆のような大きさの小さな粒しかつけない超ヴィエイユ・ヴィーニュで、完璧で魔法のようなワインと評されます。現当主ジャン・マリー・フーリエの祖父とルソー家のシャルル・ルソーは狩り仲間で、ある日狩りにでかけた日にクロ・サン・ジャックを分け合って買おうと決めたそうです。ですから、区画が隣り合っているのでしょう。

3.ルイ・ジャド

 1859年設立のルイ・ジャドはボーヌに本拠地を置くネゴシアンですが、買収により自ら多くの畑を所有し、醸造責任者のジャック・ラルディエールの卓越した技術で素晴らしいドメーヌ物のワインを造っています。ルイ・ジャドの区画は1985年にクレール・ダユの一族からクロ・サン・ジャックを購入したので、クレール・ダユの相続人であるブリュノ・クレールの区画と隣り合わせであり、面積も同じ1.00haです。

4.ブリュノ・クレール

サントネイに本拠を置くブリュノ・クレールは、名門の大ドメーヌ、クレール・ダユに生まれますが、1971年に創業者で祖父のジョセフ氏の死亡後一族間で相続を巡って争いが起き、1979年に自分のドメーヌを起ち上げた時には十分には畑を相続できませんでした。1980年代半ばに両親や兄弟の持分をかき集めドメーヌを強化し、その時にクロ・サン・ジャックも相続します。しかし、1985年にクロ・サン・ジャックの半分は叔母によってルイ・ジャドに売却されたため、ブリュノ・クレールの所有面積は1.00haです。

ブリュノ・クレールのクロ・サン・ジャックの葡萄も1957年と1972年の植えられた古木で、熟成により力強さが生まれます。但し、ブリュノ・クレールのクロ・サン・ジャックとして販売を開始したのは1999年からで、それ以前は母の名前を冠したドメーヌ・G・バルテのクロ・サン・ジャックでした。(とは言え、エチケットのデザインは同じだったようです)

5.シルヴィ・エスモナン

 5番目の所有者ドメーヌ・シルヴィ・エスモナンの祖父は、かつてクロ・サン・ジャックの単独所有者であったムシュロン公爵の下で働いており、公爵が畑を手放した時に銀行から借り入れをして畑の一部と邸宅を購入しました。現当主シルヴィ・エスモナンの父ミシェル・エスモナンの時代はワインのほとんどはバルクで売っていましたが、1987年に娘のシルヴィがドメーヌに参画してからは全てのワインをドメーヌ元詰めにしています。

 シルヴィ・エスモナンの区画は最も北にある1.60haで、斜面上部の割合が下部よりも少し多い形状となっています。また畑と同時にムシュロン公爵の邸宅も購入していたため、所有区画は発酵タンクや建物と続いています。先見の明があったと言うべきですね。

 ジュヴレ・シャンベルタン有数の女性ヴィニュロンであるシルヴィ・エスモナンのクロ・サン・ジャックは、除梗をほとんど行わず、とても高い新樽比率(75%から100%)で熟成させていますが、その樽は三年間露天で乾燥させたドミニク・ローラン製の最高級品だそうです。

 ところで皆様は市場にこの5名の所有者以外に、もう一つクロ・サン・ジャックがあるのをご存知ですか。それは新樽率200%で有名になったドミニク・ローランのネゴシアンもののクロ・サン・ジャックです。通常ネゴシアンはどこから葡萄を買ったかは伏せていますが、ドミニク・ローランの場合は、シルヴィ・エスモナンから買ったことは明らかです。二人はご夫婦ですから。

 ブルゴーニュでは夫婦がそれぞれ別ドメーヌを運営している例は珍しくありません。シャンボール・ミュジニーのトップ生産者ドメーヌ・ジスレーン・バルトとルイ・ボワイヨもご夫婦で別ドメーヌを運営しています。おそらくそれぞれの先祖から相続した誇りあるドメーヌや畑、伝統を守り抜くためでしょう。また、相続や税金も関係しているかも知れません。

これら生産者のクロ・サン・ジャックを探し、是非飲み比べられてはいかがでしょうか。

【ドメーヌ・アルマン・ルソーのクロ・サン・ジャックはこちらからどうぞ】
【ドメーヌ・フーリエのクロ・サン・ジャックはこちらからどうぞ】
【ドメーヌ・ブルーノ・クレールのクロ・サン・ジャックはこちらからどうぞ】
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