【シャンボール・ミュジニー概観】

 ブルゴーニュで「最もエレガントで女性的」と表現されるワインを産むアペラシオンがシャンボール・ミュジニーです。シャンボール・ミュジニーは人口僅か300人ほどの小さな村ですが、そこから生まれるワインは「レースのような口当たり」とたとえられる優美さと繊細さで世界中のワインラヴァーを魅了しています。

 シャンボール・ミュジニーには2つの特級畑と24の一級畑がありますが、北端と南端に位置するボンヌ・マールとミュジニーという2つの偉大な特級畑が象徴するように、村の北部と南部ではワインの特徴が異なります。

 村の北端のグラン・クリュ「ボンヌ・マール」や銘醸一級畑「レ・クラ」は、比較的粘土質を多く含む土壌で、傾斜がなだらかで表土が厚いため、ジュヴレ・シャンベルタンのように肉付きが良くしっかりとした骨格のワインとなります。

 一方、南端のグラン・クリュ「ミュジニー」や圧倒的な人気を持つ一級畑「レザムルーズ」は、勾配がきつい斜面のため土壌の層は薄く、地層の石灰岩が表土近くまで迫っているため、石灰岩由来のミネラルにより優美な骨格と気品を持ったワインとなるのです。

 下にシャンボール・ミュジニーの葡萄畑の概略図を掲載しましたが、これはブルゴーニュ・ラヴァーにとってバイブルとも言うべきブルゴーニュワイン大全等の資料を基に、当店店長がエクセルで描画したものですので、縮尺(畑の広さ)は正確ではありませんが、畑の位置関係を理解する参考になると思います。

【特級畑ミュジニーのご紹介】

 下に特級畑ミュジニーの区画図と主な所有者の区画を示した図を掲載していますので、ご覧下さい。この図はブルゴーニュワイン大全等の関連書籍を調べ、当店店長がエクセルで描画したものですので、縮尺や区画形状は正確ではありませんが、ミュジニーを理解する上で参考になると思います。

 ブルゴーニュでも別格の特級畑であり、恐らくヴォーヌ・ロマネの1、2の単独所有畑を別にするとブルゴーニュ全ての特級畑の最高位にあるとされるのがこちらのミュジニーです。

 

 その歴史は古く、西暦1110年に、ピエール・グロなる人物がこの畑をシトー派修道会に寄進したことが記録に残っています。それ以来今日まで、隣のクロ・ド・ヴージョのように石垣に囲まれることもなく、また単一所有者の管理によることもなく、複数の修道会や政治家・資産家たちにより分割所有されてきました。

 

 ミュジニーの土壌の地質年代はジュラ紀のバトニアン中部で、ミュジニーの母岩はコンブランシアン石灰岩で構成され、その上に20cm〜80cmの粘土層が覆っており、とても水はけが良い土壌となっています。

 

 現在、ミュジニーの面積は10.85haで、三つのリュー・ディ(小区画)から構成されています。北からグラン・ミュジニー5.9ha、道一つ隔てたプティ・ミュジニー4.19ha、コンブ・ドルヴォーの一部0.77haです。

 

 ミュジニーの最大所有者は、1450年まで歴史を遡れるブルゴーニュきっての名門ドメーヌ・コント・ジョルジュ・ド・ヴォギュエで、全ミュジニーの約2/3に相当する7.12haを所有しています。ヴォギュエは、単独所有する4.19haの小区画プティ・ミュジニーの上部0.65haにシャルドネを植えており、1993年まではコート・ド・ニュイ唯一の特級白ミュジニー・ブランを造っていましたが、1986年から1997年の間に植替えを行ったため、まだ若木であることを理由にデクラセし、2014年ヴィンテージまでレジオナルのブルゴーニュ・ブランとしてリリースし、最も高価なブルゴーニュ・ブランとして人気でした。樹齢も上がり、そろそろミュジニー・ブランとして戻ってくると言われていましたが、グレート・ヴィンテージ2015年に満を持して、特級ミュジニー・ブランとして復活しました。しかし、生産量は僅か160ケース(1920本)と稀少で、「幻の白」としてブルゴーニュ愛好家垂涎の人気ワインとなっています。

 

 もう一つの小区画ラ・コンブ・ドルヴォー0.77haは、一級畑コンブ・ドルヴォーの斜面下部のエシェゾーと接する南側の一部が1929年と1989年に編入されたもので、全てジャック・プリウールが所有しています。

 面白いのは、上のミュジニー区画図の中でグラン・クリュ街道の下に極小さな区画が二つあることで、これも正真正銘のミュジニーの区画です。この内、0.0156haの区画が、伝説の名醸造家アンドレ・ポルシュレが1993年から所有する区画で、ここに支柱なしで195本の葡萄の木を植え、1996年ヴィンテージから年産たった40本のミュジニーを造っています。非売品ではないということなので、どこかにはあるのでしょうが、正に稀少かつ珍品で、残念ながら写真を含めて見たことはありません。もうひとつの0.0208haの区画はドメーヌ・ベルタニアの所有ですが、アクセスが困難で荒れ地のままだそうです。

 

 ご存知とは思いますが、アンドレ・ポルシュレ氏は、かつてはドメーヌ・ルロワ(1988〜1993)とオスピス・ド・ボーヌ(1976〜1988と1994〜1999)の醸造長を勤められた伝説の名醸造家で、1989年に、これまた有名なアルマンド・ドゥエレ女史の養子となって、「ドメーヌ・モンテリ・ドゥエレ・ポルシュレ」として女史のドメーヌを継承した方で、ブルゴーニュの神様アンリ・ジャイエ氏とも並び称されるすごい方なのです。2004年にドメーヌを孫娘のカタルディナ・リッポ氏に譲り引退されていますが、1937年生まれで現在80歳のポルシュレ氏はまだまだお元気で畑仕事や後進の指導・育成にご活躍のようです。

 

 現在ブルゴーニュで実力・人気No.1の造り手ジョルジュ・ルーミエは、ミュジニーの最も北側の斜面上部に僅か0.1haの区画をもっています。ここから生み出されるミュジニーは極めて高価かつ入手困難でブルゴーニュ愛好家垂涎の逸品です。

 これ以外の有名な造り手として、ヴォギュエに次ぐ1.13haの面積を所有するジャック・フレデリック・ミュニエ、そしてモアンヌ・ユドロから0.27haの区画を買収したドメーヌ・ルロワが挙げられますが、いずれも高価かつ入手困難で知られます。

【ドメーヌ・コント・ジョルジュ・ド・ヴォギュエのミュジニーはこちらからどうぞ】
【ドメーヌ・コント・ジョルジュ・ド・ヴォギュエのミュジニー・ブランはこちらからどうぞ】
【ドメーヌ・ジャック・フレデリック・ミュニエのミュジニーはこちらからどうぞ】
【ドメーヌ・ジャック・プリウールのミュジニーはこちらからどうぞ】

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