本拠地ヴォルネイからコルトン、コート・ド・ニュイへと躍進した名門

 長期熟成に耐える正統派古典的ワインの造り手

 【ドメーヌ・ド・モンティーユ】

  〜Domaine de Montille〜


 ド・モンティーユ家は、コート・ド・ボーヌで最も優雅なワインを生み出すといわれるヴォルネイ村に、17世紀後半のフランス革命前から領主として居を構え、多くの葡萄畑を所有していた名家です。

 ところが、19世紀初期プロスベール・モンティーユとその子孫達は、これまで所有していた多くの銘醸畑を次々に売却してしまい、1947年にドメーヌ中興の祖とも言えるユベール・ド・モンティーユ氏が相続した時にはヴォルネイとポマールに僅か3haの葡萄畑を所有するのみでした。ユベール・ド・モンティーユ氏のドメーヌ再興がここから始まります。

 ユベールはディジョンでの弁護士が本業でしたが、1983年から1989年まで息子のエティエンヌ氏の力を借りてドメーヌの規模を広げ、1990年代始めには所有する葡萄畑は7haまで拡大しました。

 ド・モンティーユの代々のワイン造りの特徴は、早いうちから飲めるワインが主流となりつつある昨今のブルゴーニュの中で、長期熟成に耐える古典的な正統派の造りを貫徹していることで、出荷直後でも美味しく飲めますが、やはり10年以上、時には20年30年と熟成を経てからその真価を発揮するワインを造ります。

 息子のエティエンヌ氏は1983年から父のワイン造りに関与していましたが、当時の本業はパリの会計事務所に会計士として働いていた方で、1995年に父からドメーヌを完全に移譲されました。そして2001年にブルゴーニュに戻り、フルタイムでドメーヌ・ド・モンティーユの運営にあたることとなります。

 上の一覧表はドメーヌ・ド・モンティーユの主要所有畑一覧表ですが、現当主エティエンヌが経営にあたるようになってからというものは、ドメーヌの所有する葡萄畑の拡大は凄まじく、次々に畑を購入して事業を拡大していきます。1993年にはすでに、ピュリニー・モンラッシェ1級カイユレをジャン・シャルトロンから買い取り、2004年にボーヌ1級レ・ゼグロ(白)、赤の特級コルトン・クロ・デュ・ロワ、コルトン・レ・プージョ、白のコルトン・シャルルマーニュを入手します。

 次いで、2005年にドメーヌ・デュジャックと共同でトマ・モワイヤールを買収し、コート・ド・ニュイにも進出します。この時にヴォーヌ・ロマネ一級マルコンソール、ニュイ・サン・ジョルジュ一級オー・トレイ、特級クロ・ド・ヴージョをラインナップに加えています。更に2012年、エティエンヌが経営を任されていたシャトー・ド・ピュリニー・モンラッシェを金融機関から買い取り、新たにオーナーになります。

 このようにエティエンヌ氏の率いるドメーヌ・ド・モンティーユは本拠地のヴォルネイからコルトンへ、更にコート・ド・ニュイにも進出し、今やブルゴーニュきっての大ドメーヌに発展したのです。そしてあまりにも拡大したためヴォルネイの醸造施設では間に合わなくなり、現在は旧ロピトー・ミニョンが所有していたムルソーのセラーでワイン造りをしています。

 一般にエレガントとされるヴォルネイでさえも、「いつ開くのかわからない」と言われたドメーヌ・ド・モンティーユのワインでしたが、エティエンヌ氏の代になった今日では若いうちから香り高く、そしてタンニンもしなやかなものとなり、かつ長期熟成にも十分耐え得るスタイルへと変わってきています。

 エティエンヌ氏のスタイルは、全房を用いた醸造など、基本的にはユベール時代の様式を継承していますが、葡萄栽培については大きく変化しています。具体的には「高品質のワインは高品質の葡萄からしか出来ない」という考え方の下で、1991年にはリュット・レゾネを採用、1997年から有機へとよりナチュラルな栽培に変更し、さらに近年ヴィオディナミに移行しています。より完熟した葡萄を摘み取り、抽出の仕方や発酵温度の管理をより綿密に行うことで、現在のスタイルを築いているのです。

 ドメーヌ中興の祖で1995年からは息子のエティエンヌ氏を支援してきたユベール・ド・モンティーユ氏でしたが、2014年11月に死去されました。アメリカのドキュメンタリー映画「モンドヴィーノ」でも主役級で取り上げられ、ブルゴーニュワインの偉大な歴史に名を残す名士でした。

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【ドメーヌ・ド・モンティーユ追加情報】

 精力的に事業を拡大しているドメーヌ・ド・モンティーユですが、遂に2019年を目途に北海道函館でワイン造りをすることが当主エティエンヌ氏から発表され、高橋北海道知事とも会談したことが2017年4月26日の日本経済新聞と北海道新聞に記事が掲載されました。下の北海道新聞の記事を抜粋したものをご覧ください。

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