大ドメーヌ、クレール・ダユの栄光を今に引き継ぐ直系ドメーヌ

伝説の名ドメーヌを継承・凌駕する新世代の造り手

 【ドメーヌ・ブルーノ・クレール】

  〜Domaine Bruno Clair〜


 ドメーヌ・ブルーノ・クレールを語る上で外してはならないのがドメーヌ・クレール・ダユの存在です。ドメーヌ・クレール・ダユは、1919年にブリューノ・クレールの祖父でサントネイ出身のジョセフ・クレールがマルサネ出身のマルグリット・ダユが結婚し、生まれたドメーヌです。

 ドメーヌ・クレール・ダユは葡萄畑の積極的な購入を進め、所有する畑もシャンベルタン・クロ・ド・ベーズ、ボンヌ・マール等の特級畑から特級を凌ぐ一級畑クロ・サン・ジャック等多数の銘醸畑を所有し、最盛期には40haもの面積の葡萄畑を擁する大ドメーヌでした。また、現在ではマルサネの代名詞となっている、マルサネ・ロゼはこのドメーヌが世に送り出した看板ワインでした。

 しかしブルーノ・クレールは、この大ドメーヌ、クレール・ダユに生まれながら、その所有畑を十分に受け継ぐことが出来ませんでした。祖父で当主のジョセフが死去し、一族の中でブルゴーニュお決まりの相続を巡っての争いが起こり、分裂したためです。

 ブリュノ・クレールは1978年まではクレール・ダユで働いていましたが、ドルーアンで働いていたフィリップ・ブリュンを醸造責任者に迎え1979年に独立しました。設立当初は相続を巡って一族内で争議が起きていたため、マルサネ、フィサン、モレ・サン・ドニ、サヴィニーの一部にしか畑を所有していない小さなドメーヌでしたが、相続問題によってクレール・ダユが解散・分裂するとジョセフの長男で、ブルーノ・クレールの父ベルナール・クレールの所有分を取得します。

 このクレール・ダユ分裂の時に、次女の持分がネゴシアンのルイ・ジャドに売却され、三女は同じマルサネのドメーヌ・バールに嫁いだことから、その持ち分はドメーヌ・バールにもたらされます。僅か5名の所有者しかいないブルゴーニュ屈指の一級畑クロ・サン・ジャックにおいて、ブルーノ・クレールとルイ・ジャドが隣接して夫々1haのパーセルを所有していることや、日本ではあまり馴染みのないドメーヌ・バールがボンヌ・マール等の珠玉の銘醸畑を所有しているのにはこのような理由があります。

 そうした状況の中、現在の当主のブリューノ・クレール氏は自らのドメーヌを立ち上げた後、相続問題で分裂してしまっていた数名の一族を説得する事に成功します。1989年に、シャンベルタン・クロ・ド・ベーズ、 カズティエ、クロ・サン・ジャック、ヴォーヌ・ロマネ、クロ・ド・フォント二、シャンボール・ミュジニーのそれぞれの畑を任せられ、その後も2006年のルイ・ジャドとのフェルマージュ契約の終了や新たな畑の購入を繰り返し、今日では下の所有畑一覧表の通り、コート・ド・ニュイからコート・ド・ボーヌまでにわたる24haの畑から24種のワインを造り出すマルサネきっての大ドメーヌへと成長したのです。

 ブルーノ・クレールの畑では除草剤を使用しないリュット・レゾネによる管理が行われています。祖父の代から受け継いだ畑には樹齢100年を超える古木もあり、元々収穫量が少ない上に収穫時には厳しい選果を行うため、葡萄は非常に低収量となっています。また、醸造は低温浸漬の後に開放式の木製槽で発酵を行い、オーク樽に移されてヴィンテージ、区画ごとに応じて熟成期間、新樽率を変更しています。

 こうした数々の努力の積み重ねにより、現在では、ブルゴーニュを代表する一流生産者のクロード・デュガやメオ・カミュゼ、エマニエル・ルジェなどと同等の評価を得ており、伝説の名ドメーヌ、クレール・ダユを継承・凌駕する新世代の造り手の一人として高く評価されています。

 上の写真の通り、日本でも美術出版社発行の「ワイナート43号、至高のブルゴーニュ特集」(2008年3月発刊)に4頁にわたって掲載されており、その中で、トップ・キュベ「シャンベルタン・クロ・ド・ベーズ」は、2/3は1912年植樹の古樹の葡萄を使い、「磨かれた細部と緊密な構造を備える整然とした味わい」と紹介されています。この他、モレ・サン・ドニ側のテール・ブランショ土壌の区画にあるボンヌ・マールや1993年に取得したコルトン・シャルルマーニュ、更に僅か5名の所有者しかいないクロ・サン・ジャック等、魅力的なラインナップを誇るドメーヌです。

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