ピュリー・モンラッシェで約500年にもわたってワイン造りをしてきた名家カリヨン家の15代目

ピュリニー屈指の造り手、父ルイ・カリヨンから引き継いだ畑で造る秀逸な白ワイン

 【ドメーヌ・フランソワ・カリヨン】

  〜Domaine Francois Carillon〜


  

 古い文書では、カリヨン家初代のジュアン・カリヨンが、ピュリー・モンラッシェでワイン造りを始めたのは1520年との記録が残っていますが、ドメーヌ・フランソワ・カリヨンのロゴには「1611」の数字が記されています。これは、現在のワイナリーのセラー内に「1611」という年号が刻まれている石が見つかり、この歴史の証人とも言える「1611年」をカリオン家の葡萄造りの起源年としています。このフランソワ・カリヨンのロゴには、ドメーヌの哲学である”正確さの象徴”の意も含まれているとのことです。

 カリヨン家は、約 500 年にわたりピュリニー モンラッシェの土地で葡萄栽培を行ってきました。1580年から続く”ピュリニーの至宝”ルフレーヴ家が葡萄栽培を始めたのが1717年ですから、カリヨン家が如何に歴史ある由緒正しき家柄であるかお分かりいただけると思います。このカリヨン家の中興の祖とも言うべき人物が1960年代に14代目当主となったルイ・カリヨンです。ルイ・カリヨンには、0.12haの極小面積のビアンヴニュー・バタール・モンラッシェ以外には特級畑はありませんでしたし、謙虚な性格で、値付けも控えめであったため、スーパースター的なドメーヌには見えませんでしたが、2010年に二人の息子ジャックとフランソワに畑を譲って引退するまで、安定的に高品質のワインを生産し、ピュリー・モンラッシェ屈指の白ワインの造り手と言われ、高く評価されてきました。

 先代ルイ・カリヨンの引退に伴い、2010年にドメーヌ所有の畑は兄弟ふたりの間で分割され、長男のジャックが起こしたドメーヌが[ジャック・カリヨン]、そして次男のフランソワが起こしたドメーヌが、こちらの[フランソワ・カリヨン]です。

 1988年から父を手伝い、醸造を担当する兄ジャックの傍ら、おもに葡萄栽培に専念していたフランソワは、次第にビオロジック栽培へと傾倒していきます。そして独立後、自身のドメーヌの葡萄畑では除草剤を一切使用せず、トラクター、また場所によっては馬を使って土を鋤き返しています。また、ワインを寝かせておくカーヴは曽祖父が使っていたもので、1520年に掘られたものです。

 

 当然ながらドメーヌのポートフォリオはピュリニー・モンラッシェが中心で、下の所有畑一覧表の通り、一級にはコンベット、ペリエール、シャン・ガン、フォラティエール等を所有。ルイ・カリヨン時代の特級畑ビアンヴニュ・バタール・モンラッシェは兄のジャックに譲り、新たにわずか0.05haながら特級シュヴァリエ・モンラッシェを取得しました。また、隣接するシャサーニュ・モンラッシェやサントーバンにも畑を所有するほか、コート・シャロネーズのメルキュレもラインナップし、現在の所有畑は6.5haで、ブルゴーニュでは標準的な規模ですが、3ha近くを村名ピュリニー・モンラッシェが占めています。

 赤ワインも少量造ってはいるものの、ドメーヌの真骨頂はやはり白ワインで、村名以下はステンレスタンクで発酵後、小樽熟成を施し、一級以上は小樽発酵・小樽熟成です。いずれの場合でも酵母は添加せず、自生酵母による自然発酵を待ち、4週間から6週間をかけてゆっくりと発酵させます。

 また、クリマごとに新樽率は異なり、ピュリニー・モンラッシェの一級で25%、村名やサントーバン一級で10%前後。樽熟成期間は12ヶ月に留め、その後、ステンレスタンクに移して6ヶ月の熟成を続けます。澱との接触は長めにしつつ、樽香は抑えるという、バランスを重視した熟成方法を採用しています。

 こうして出来上がるフランソワ・カリヨンの白ワインは、白い花や柑橘系の果実を思い起こさせるデリケートな風味で、口に含むと生き生きとした酸とピュアなミネラル感が広がり、ピュリニーの造り手らしく、曲がったところのないとてもストレートな印象を受けます。輸入元資料には、『また新たな伝説をピュリニー・モンラッシェにもたらしそうな、有望なドメーヌの登場』とあり、後継者も育っていることから、古くからの歴史と伝統を守りつつ、今後の更なる飛躍が期待されるドメーヌです。

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