ピュリー・モンラッシェで約500年にもわたってワイン造りをしてきた名家カリヨン家の15代目

ピュリニー屈指の造り手、父ルイ・カリヨンから引き継いだ畑で造る秀逸な白ワイン

 【ドメーヌ・ジャック・カリヨン】

  〜Domaine Jacques Carillon〜


 

 カリヨン家は、約 500 年にわたりピュリニー モンラッシェの土地で葡萄栽培を行ってきました。1580年から続く”ピュリニーの至宝”ルフレーヴ家が葡萄栽培を始めたのが1717年ですから、カリヨン家が如何に歴史ある由緒正しき家柄であるかお分かりいただけると思います。

 この名家カリヨン家の中興の祖とも言うべき人物が1960年代に14代目当主となったルイ・カリヨンです。ルイ・カリヨンには、0.12haの極小面積のビアンヴニュー・バタール・モンラッシェ以外には特級畑はありませんでしたし、謙虚な性格で、値付けも控えめであったため、スーパースター的なドメーヌには見えませんでしたが、2010年に二人の息子ジャックとフランソワに畑を譲って引退するまで、安定的に高品質のワインを生産し、ドメーヌ・ルフレーヴと比肩されるほどのピュリー・モンラッシェ屈指の白ワインの造り手と言われ、高く評価されてきました。

 先代ルイ・カリヨンの引退に伴い、2010年にドメーヌ所有の畑は兄弟ふたりの間で分割され、長男のジャックが起こしたドメーヌが[ジャック・カリヨン]、そして次男のフランソワが起こしたドメーヌが、[フランソワ・カリヨン]です。

 古い文書では、カリヨン家初代のジュアン・カリヨンが、ピュリー・モンラッシェでワイン造りを始めたのは1520年との記録が残っています。この記録に基づき、ドメーヌ・ジャック・カリヨンのロゴマークには「1520」の数字が記されています。(ご参考までに、ジャック・カリヨンの弟の運営するドメーヌ・フランソワ・カリヨンのロゴには「1611」の数字が記されています。これは、現在のワイナリーのセラー内に「1611」という年号が刻まれている石が見つかり、この歴史の証人とも言える「1611年」をカリオン家の葡萄造りの起源年としています。)

 ルイ・カリヨンの長男ジャックは、1980 年ボーヌのワイン醸造学校で学んだ後、ドメーヌに戻り、父の下で働き始め、ワイン醸造とマーケティングの業務についていました。そして、2010年に父の引退に伴い、ドメーヌ・ルイ・カリヨンの所有畑はジャックとフランソワの二人の兄弟の間で分割相続され、兄のジャックはビアンヴニュ・バタール・モンラッシェの0.5ヘクタールの区画を含む、ピュリニー・モンラッシェ周辺の5.5haの葡萄畑を相続しました。その後、彼は妻のシルビアと一緒に自分のドメーヌ、ジャック・カリヨンを起ち上げました。

 ジャック・カリヨンは、そのワイン造りにおいて「テロワールの特徴を最大限生かすこと」に最も重点を置いています。先祖代々受け継がれてきた畑には、樹齢40年〜50年に及ぶ古樹が多く植えられており、それらを常に高いレベルで健全に保つために、リュット・レゾネを採用し、除草剤等は一切使用せず、人の手による丹念な畑仕事が行われています。

 また、醸造においては、人の手をできる限り加えず、葡萄そのものが持つ力を尊重したスタイルが特徴です。新樽比率も15%〜20%と低く、果実の風味が損なわれないよう細心の注意が払われています。熟成後は、さらにステンレスタンクで6ヵ月寝かした後、清澄、濾過を最小限にとどめて瓶詰めされます。

 こうした丁寧な造りから生み出されるジャック・カリヨンのワインは、どのアペラシオンも味わい全体のバランスに優れ、テロワールの個性を余すことなく表現した味わいを堪能することができます。

 

 当然ながらドメーヌのポートフォリオはピュリニー・モンラッシェが中心で、下の主要所有畑一覧表の通り、特級畑ビアンヴニュ・バタール・モンラッシェを筆頭に、ピュリー・モンラッシェの一級畑、村名畑を所有しています。現在の所有畑は6.5haで、ブルゴーニュでは標準的な規模ですが、3ha近くを村名ピュリニー・モンラッシェが占めています。

 赤ワインも少量造ってはいるものの、ドメーヌの真骨頂はやはり白ワインで、世界中の権威あるレストランのワインリストにオンリストされ、大変高い評価を得ています。弟の運営するドメーヌ・フランソワ・カリヨンと共に名家カリヨン家の古くからの歴史と伝統を守りつつ、今後の更なる飛躍が期待されるドメーヌです。

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