ニュイ・サンジョルジュのトップの座を競う屈指の名門ドメーヌ

 

 ドメーヌ自慢の看板ワインは、モノポール一級畑(単独所有畑)の

 ニュイ・サン・ジョルジュ一級クロ・デ・ポレ サン・ジョルジュ

 【ドメーヌ アンリ・グージョ】

         〜Domaine Henri Gouges〜


 

 ニュイ・サン・ジョルジュのトップ・ドメーヌの座をロベール・シュヴィヨンと競うのは、ニュイ・サン・ジョルジュ屈指の老舗名門ドメーヌであるドメーヌ・アンリ・グージョです。

 創始者アンリ氏はブルゴーニュのドメーヌワインの立役者とも言える人物で、20世紀初期、ネゴシアンによって名前を偽ったブルゴーニュワインが出回っていたのを危惧して1929年、ブルゴーニュワインの品質を守る組織を結成し、この地でもっとも早く自家元詰を実現しています。

 また、ヴォルネイのマルキ・ダンジルヴィーユ氏と共に原産地呼称制度の推進を進め、1946年にはコート・ドールの組合長に就任するなど、今日のブルゴーニュ・ワインの基礎を築いた偉大な方なのです。ワインの偉大な造り手ということだけでなく、高潔な人格者で、アペラシオンに格付け作業をしていた当時、ニュイ・サン・ジョルジュの村長かつニュイの葡萄畑の主要所有者でもあったことから、身贔屓との批判を避けるためニュイ・サン・ジョルジュに敢えて特級畑を認めなかったと言われています。

 1967年の偉大な創始者の死後、ドメーヌ・アンリ・グージョは一時期低迷していた時代もありました。この時期、大規模な改植を進めたことも仇となって、濃厚で、晩熟かつ長命とされたアンリ・グージョのワインは、1970年代〜1980年代は一転して、凡庸な軽い作風のものとなり、ニュイ最高のドメーヌの座をロベール・シュヴィヨンに明け渡してしまいます。しかし、1990年代に入ってアンリ氏の孫にあたる三代目のピエール氏と従兄弟で、醸造担当のクリスチャン氏が後を継ぎ、種々の改革に着手し、徐々に復活の道を歩き始めます。例えば、葡萄畑の畝間にはホソムギやクローバー等10種類以上の草が植えられていますが、この草生栽培は、元々は急な畑の表土の流失防止のためにピエール氏が始めたもので、余分な土中水分の蒸散効果や植物同士の競合から葡萄の品質を高めることも確認されています。

 そして2003年からはピエールの長男のグレゴリー氏がドメーヌに加入し、2006年までは父の下で畑作業を担い、2007年からは醸造も担当するようになります。1980年生まれのグレゴリー氏は、ボーヌとマコンでワイン造りを学んだ後、更にシモン・ビーズやナパ・ヴァレーでの研修経験があり、ドメーヌの四代目当主となったグレゴリー氏はこの経験と知識を活用して更なる改革を推進します。

 最も大きな変化は、葡萄の収穫を早めてタンニンがよりソフトなタイミングでの収穫に切り替えたことです。グレゴリー氏は、タンニンのマネジメントにことのほか敏感で、葡萄のもつマチエールは最大限維持しつつ、アグレッシブなタンニンを抑えこみ、タンニンの角がとれ、心地よく飲めるスタイルに転換しました。その結果、今まで強大なタンニンの影に隠れてしまっていた酸味も綺麗に表れて、果実味と酸味、タンニンとのバランスの配分が飛躍的に向上しました。

 また、畑では、2008年から完全にビオロジックへの転換を果たし、醸造の面でもタンニンの良い部分のみを抽出するために、ポンプを使わないグラヴィティ・フローの構造に醸造所を建て替えたりしました。このように、大小の変革の積み重ねで、アンリ・グージョは再び高い品質と評判を取り戻し、ニュイ・サン・ジョルジュのトップ・ドメーヌの地位に返り咲いています。

 下の写真の通り、美術出版社発行の「ワイナート55号ニュイ・サン・ジョルジュ特集」(2010年3月発刊)の中でも、「ニュイの君主復活を目指すドメーヌ」として大きく写真紹介されています。

 ニュイ・サン・ジョルジュの歴史ある名門ドメーヌだけに、14.5haの所有畑はすべてこの村の中にありますが、特に南部に多くの畑を持っており、一級銘醸畑レ・サン・ジョルジュを始めとする堅牢な長熟型ワインを造るのが特徴です。中でも3.57ha所有するモノポール(単独所有畑)のクロ・デ・ポレ・サン・ジョルジュは、初代アンリ・グージョが1933年に手に入れたモノポールで、並外れた濃密さから瓶熟成の甲斐があると言われるドメーヌ自慢の一級畑です。
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