「メイユール・ヴァン・ド・フランス」で最高の3ツ星生産者

 今やシャンボールのみならずブルゴーニュ最高の造り手の一人

【ドメーヌ ジャック・フレデリック・ミュニエ】

 〜Domaine Jacques Frederic Mugnier〜


 

 ドメーヌ ジャック・フレデリック・ミュニエは、『フランスで最も権威あるバイヤーズガイド「メイユール・ヴァン・ド・フランス」で最高の3ツ星生産者』、『シャンボールのエレガントさを存分に体現する由緒正しきドメーヌ』、 『熱烈ファンを持ち、あまり市場に出回らない入手困難な希少ワインの生産者』等々、今やシャンボールのみならずブルゴーニュ最高の造り手の一人と称賛されています。

 下の写真の通り、美術出版社のワイン専門誌ワイナート66号、シャンボール・ミュジニー特集の中にもトップ生産者として紹介されていますので、日本のブルゴーニュ愛好家の中でジャック・フレデリック・ミュニエ氏とその素晴らしいワインをご存じでない方は皆無だと思います。

 19世紀後半にディジョンでカシスやミュールの酒商を営み財をなしたミュニエ家は1863年にマレ・モンジュ家から現在の本拠地となっている下の写真の「シャトー・ド・シャンボール・ミュジニィ」と呼ばれる豪華な邸宅とミュジニー、レ・ザムルーズを始めとする畑を購入しました。同時にドメーヌを設立し、シャンボールに約4ha、ニュイ・サン・ジョルジュに約10ha弱を所有するドメーヌ・ジャック・フレデリック・ミュニエが誕生します。

 しかしながら、ドメーヌ元詰めのワイン造りが行われるようになったのは、比較的最近で、五代目の現当主のフレデリック・ミュニエ氏が30歳でドメーヌに戻った1985年以降のことです。それまでは、所有する畑は全てネゴシアンに貸し出されていました。

 フレデリックの父のジャックは、法律家で海外を飛び回っていましたし、スイスで生まれたフレデリック自身も石油関連のエンジニアとして世界を飛び回り、定期便のパイロットとしても活躍していた異色の経歴の持ち主です。

 葡萄栽培の素人であった彼は、ボーヌの醸造学校でワイン造りの基礎を学び、隣人のクリストフ・ルーミエ等に指導を仰ぎ、ミュニエ家で初のヴィニュロン(自ら育てた葡萄でワインを造り、そのワインを売る人)として、徐々に技術を磨き、今日の地位まで引き上げたのです。

 

 しかし、ミュニエの所有する畑は、ミュジニー、ボンヌ・マール、レ・ザムルーズとブルゴーニュ屈指であるものの、生産量は少なく、ほとんど市場に出回らない稀少プレミアムワインのため高価かつ入手困難で、一般人がその素晴らしさを味わう機会も限られているのが残念です。

 下の写真の通り、美術出版社発行のワイナート66号にドメーヌとドメーヌを代表するその三つの銘柄が大きく紹介されています。

 

 下表は、ドメーヌ・ジャック・フレデリック・ミュニエの所有畑一覧表ですので、参考にして下さい。2003年に契約期限が切れ、フェヴレ社から帰ってきた一級畑クロ・ド・ラ・マレシャル以外の畑がいかに極小で、稀少であるかお分かりになると思います。

 実際にネット店舗でも実店舗を見ても、ジャック・フレデリック・ミュニエのワインは、コート・ドール最大のモノポールであるニュイ・サン・ジョルジュ一級クロ・ド・ラ・マレシャル以外には全く見つけることができません。それほど市場流通量が少なく大人気の稀少プレミアムワインの造り手なのです。恐らく現在最も入手困難なブルゴーニュの造り手の一人と言えるのではないでしょうか。

 なお、ドメーヌのトップ・キュヴェの特級ミュジニーについては、「適正な時期に飲んで欲しい」とのミュニエ氏の思いから、ドメーヌのセラーで数年間熟成させた後にリリースする方針をとっていますので、2012年ヴィンテージを最後に市場にその姿はありません。従いまして、「ミュジニー2013」が最新ヴィンテージとなり、2021年2月にリリースされました。また、特級ボンヌ・マールもミュジニー同様にセラーで熟成させた後にリリースする方針に変更となったため、2017年ヴィンテージを最後にしばらくの間、市場で見ることはありません。

 実は、上の写真の通り、昨年2020年2月にミュニエ氏来日の折のティスティング・イベントで、「ミュジニー2013」のお披露目があり、この時、ミュニエ氏から「今回ティスティングするミュジニー2013は、この場が世界で最初で、2021年春にリリース」との説明があり、当店店長も試飲しております。久しぶりにリリースされるミュジニー2013を是非お楽しみに。

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〜「八分の一」の繊細〜

 2020年2月にジャック・フレデリック・ミュニエ氏が来日され、東京・大阪で2017年ヴィンテージのティスティング・イベントが開催されました。

 今やシャンボール・ミュジニー村にとどまらずブルゴーニュの中で、抜きんでた存在であるミュニエ氏のワインは本当に繊細でエレガントさが溢れるものでした。

 イベントの中で、ミュニエ氏が「自分はワインメーカーではない」とおっしゃっていたのが印象に残りました。「自分は自然と向き合ってワインを造っており、人為的なことは一切行っていない」ことがその理由です。

 そのイベント参加者の中には10年以上も前のミュニエ氏来日の折の写真を携えてこられた方もおられ、日本でのミュニエ氏の人気の程がうかがえました。

 そして、2020年5月17日の日経新聞に「八分の一の繊細」と題するエッセイをみつけました。このエッセイの作者はエノテカ会長の廣瀬恭久氏で、廣瀬氏はその文章の中で、十数年前の来日の折、ミュニエ氏から「自分の曾祖母は長崎県島原半島にある加津佐町出身の日本人であり、今回の来日は自分のルーツをたどる旅でもある」と告げられ、驚いたと書いておられます。

 ミュニエ氏のワイン愛好家にとって、大変興味深いエッセイですので、一部を抜粋し、お伝えします。

以下原文のまま。

『彼の書いた文章にこんな一節があった。「長い間寝かされたワインは、眠っていた追憶を人々の記憶から呼び起こす。」彼のシャイさや、造るワインの繊細さは、もしかしたら八分の一流れる日本人の血が呼び起こされたせいかもしれない。そう思った時なんだか誇らしくなった。』

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